山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ベストセラー作家への道4

 95年初夏、とあるテレビドラマの仕事でとことん傷付いた私は、どうしたら現状を打開できるか、じっと考えた。そこで思い付いたのが、名付けて村上龍計画。小説を出してそれを映画化する、というものだった。作家で映画監督になれば、今後このような状況には追い込まれまい、と考えたのだった。
 まずは、公募ガイドなどを買って、締め切りの近い賞を探した。最初に目にとまったのが、6月30日締め切りの文學界新人賞だった。その時、6月18日であったのを覚えている。あと12日。枚数は100枚以上と規定されていたように記憶する。ざっと計算して一日10枚。大学生の頃、さんざんポルノ小説を書いてきた。一晩で40枚の短編を仕上げたこともあった。余裕だと思った。その日からほとんどなにもせずに、小説を書いた。当時も今も文章を書くのを苦に思ったことはなく、しかも早い。これだけは自信があった。確か一週間ほどで初稿が上がった。テーマは当時、女子高生の援助交際が話題になっており、常々、ズレを感じていたから、マスコミで喧伝されない女子高生の気分を描こうと決めた。書いているうちにそれまでの怒りをぶつけるような書き方になってしまった。初稿を読んで絶望的な気分になった。全くなっていなかった。また、一から書き直した。出来上がったのは、30日の朝だったと思う。最後に読み直して、やっぱり絶望。初稿は全くのフィクションだったが、心情を素直に書こうとしたところ、私小説みたいになってしまった。また一から書き直したかったが、時間がなかった。目をつぶって原稿を送った。
 
そして、その日の午後から次の小説を書き始めた。公募ガイドに載っていた、次の締め切りは7月10日で、少女小説の賞だった。このように、賞でありさえすれば何でもいいと思っていたのだ。今度は残り10日で100枚。でも、いけると思った。
 以下、次号。