山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

書店めぐり日記

 今日は、新宿の紀伊国屋書店本店と南口店を見にいく。
どちらも「ベイビーシャワー」が平積みで嬉しい。南口店にて、しばし、客の動向を観察。

 フクスケの社長、フジマキさんが現場100回みたいなことを仰っていた。新生フクスケが新しい靴下を発売した時、その靴下づくりに関わった者は、必ず、売り場を訪ねるべきだと。というか、彼自身、そうやって物を売ってきた。

自分が作った製品の売り場を見にいかない奴、見たいと思わない奴は、伸びないと

 そう、一生懸命作ったものは自分の目で確かめたいものだ。テレビ番組だって同じ。心を込めた番組は、オンエアーで見てきた。自分の本ならなおさらだ。

 そんなことを考えながら、店内をうろうろして、ちょっとした事に気づく。文芸書というのは、男性作家/女性作家で分けられているということ。純文学でもミステリーでもなく、男女という性別によって、すべての小説は仕切られるわけだ。性別が同じというだけで、芥川龍之介のとなりに赤川次郎が並ぶ(理論上)。

 そして、アイウエオ順。ふうむ。こうなってくると、筆名を「ア」ではじめておくべきだったか。アコムやアート引っ越しセンターのように。
(せめて、アカネ山田にしときゃよかった?)

 さらに発見は続く。 k書店m口店の場合、文芸書のとなりは ハウツー本のコーナーにつながっているのだ。
 ざっと店内の書棚の列を見た場合、 20~30代の女性がもっとも群がるのがこのコーナーだ。多くの女性が「幸せになる方法」とか「恋愛がうまく行く」てなハウツー本を手にする。小説コーナーはさっぱりだ。
 物語によっていろんな生き方を知るより、手っ取り早く指示してほしいのだ。「この恋のゆくえ」や「どうやったら結婚できるか」について。

 その意味において、私はラッキーであった。「ヤ」の次は「ラ」なので、そんな名前の女性作家、そうそういない。おかげで私の本は恋のハウツー本の限りなく近くに存在する。
なにしろ、 小倉千加子先生の「結婚の条件」のななめ下である。
(もちろん、『結婚の条件』はハウツー本ではなく、日本女性の晩婚化の真の原因は、かの戦争に負けたところにある、と読み説くなんとも画期的な書物であるが)

 かような理由により、ハウツー本を手にした女性が、ふとした 気まぐれや運命のいたずらによって、私の本を手にしないとは限らない。この世は全て確率に支配されている。訪れるひとの少ない小説のコーナーより、ハウツー本の近所でよかった。

 ええ、だって、結局のところ、小説だってハウツー本に他ならない。どうやって生きたらいいかわからなくなると、私はいつも小説を読んできたし。
 もし、私が17歳のときに、 
「17歳のひねくれ少女のための人生読本」
 っていうのがあったら、すぐに飛びついていたと思うもの。幸か不幸かそんな書物は当時なかったので、いろんな小説を読んできたのだった。

 そんなわけで、書店めぐりの日々は続く。