山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

犬の名前


写真は、最愛の犬、カナ9歳。

10月22日は、カナ(犬)の9歳の誕生日だった。カナが生まれたのは、1995年で、この年は私にとって転機となる出来事の多い一年だった。くり返し書いているように、はじめて書いた小説が文芸誌の新人賞に入ったのは、この年だ。新人賞が決まったのが10月18日で、その4日後にカナが生まれた。

カナ、という人間みたいな名前もこれと関係がある。
かつて、あるひとからこんなことをいわれた。

「犬にカナなんて人の名前つけちゃって。本当は子供がほしかったんでしょう?」

 全く意外だったけど、他人様はそう見るのかも知れない。

カナは、最初の小説「終わりのいろいろなかたち」の主人公の名前だ。正確には、羽村かな。名字の羽村は、大好きな小説「飛ぶのが怖い」の主人公、イザドーラ・ウイングからもらった。ウイング=羽というわけ。そして、名前は、どうか願いが叶うようにと「かな」とした。ちょっと恥ずかしいけど、当時は真剣だった。そんな思いを背負って描かれた主人公であったから、入賞が決まり、自分へのお祝いとして犬を飼うと決めた時、主人公の名前をもらうのはとても自然なことに思えた。比べるのもおこがましいけど、ジョン・アーヴィングの飼い犬の名前はディケンズだ。なんか、気持ちがわかる。

 カナには本当に苦労をかけたと思う。当時はまだ、身辺あわただしくて、あっちに行ったり、こっちに行ったり、忙しくて、カナに淋しい思いをさせた。何十時間もたった一匹で私の帰りを待っていてくれた。

一時期一緒に暮らしたひとがいて、カナはその人にとても懐いた。その人が出て行ってからも、公園に出かけると、その人を探しているようだった。公園の入り口にそのひとと背格好の似たひとが入ってくると、私の顔を見て、
「あれ、アイツじゃないの?散歩に来たんじゃないの?」
とでも言うように、そのひとと私の顔を交互に見た。
「ちがうよ、もう、あのひとは来ないんだよ」
と言っても(当たり前だけど)、その人がカナの探している人ではないとわかるまで、じっと見ていた。

こういう時、そのひとがいなくなったことより、カナの気持ちのほうがせつなかった。申し訳ないな、と離婚したばかりの母親のような気持ちになった。
 
そんなカナとこの9年間、一緒に過ごして来た。カナよりも大切なひとができて、実家にあずけっぱなしにしたこともある。ずっと部屋に閉じ込めて、帰って来たら、自分で自分の前足を血が出る程、噛んでいたこともあった。淋しくて淋しくて、耐えられなかったんだと思う。ほんとにひどい飼い主だった。


 でも、カナといたことで私はどれくらい救われただろう。いつでも全開でしっぽをふって私を待っていてくれた。そして、何をしても許してくれた。ほんとに犬ってすごい、犬より可愛い生き物を私は知らない。

 犬にとって9歳は高齢だ。ヒトに換算すると60代の後半くらいだろうか。これからはもっといたわってやらないと。そしてなるべく一緒にいてやりたい。
犬はどんなごちそうより飼い主との時間が大切だから。このかけがえのなさ。
犬程に私を待っていてくれる誰がこの世界にいるだろう。(笑)
カナ、長生きしてね。