山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

直木賞作家のフトン

いやあ、芥川賞、直木賞の候補が発表になりましたね。
ふむ。

などとまるで関係者のように言ってますけど、残念ながら、ほとんどなんも関係ないです。
(しかし、いつか関係したいものだ)

今日が候補の発表日とは知らずに、昨日、「芥川賞作家のまくら」というタイトルにしたら、ここ一か月で最高のアクセス数でした。
ふむ。案外、芥川賞も捨てたもんじゃないですね。
(ってこれも、昨年の綿矢さんたちの効果かしらん)

個人的にはですね(って個人的以外ありえないけど)

芥川賞  阿部和重 さん
直木賞  角田光代 さん

であってほしいなあ、と思います。
芥川賞は新人にあげる賞だけど、話題になるからといって、昨日今日書き始めたねえちゃん、にいちゃんにもってかれるのは、ちょっとイタイです。正直、年寄りとしては。

やはしさあ、阿部和重さん、角田光代さんらは、長い期間、しっかりしたものを書き続けているし、これからもきっちり書いて行くと思うので、そういう覚悟のあるひとがとってほしいです。
(世界平和のためにもね)

もちろん、若者にポイ!という賞の上げ方に、嫉妬やらを感じているのかもしれませんが、けど、そればかりではありませんぜ。

だってさあ、まだ一作しか書いてない、20歳そこそこのひとが、賞をもらってしまうのは
それなりにキツイと思いますよ。本人のためにも。

出版社も編集者も「売れる」とこだけもっていこうとするから、作家は使い捨てにされてしまうのは目に見ているし、もちろん、才能と運があれば、その後も書き続けられるわけだから、よけいなお世話かもしれないけど、しかし、人生はとてつもなく、長いんです。
最近、さらに長くなったように思うし。

夏目漱石だって、傑作を書いたのは40代だし、昔みたいに結核で死んじゃうこともないから、20代で注目されて、徐々にへこんでいく人生はつらいと思うわけです。

なぜなら、私はそういう悲劇を芸能界でたくさん見ていますから。
10代、20代でデビューして、 キラキラの暮らしをした後、あっという間になにもなくなるひとたち。
役者やアイドルは美貌というわかりやすく、芸能界を離れても使いやすい才能(ホステスや愛人、妻という道がある)があるからいいけど、作家はつらいでしょう。

大企業の社史を書く人生が待ってる・・つうのもね。
(本の売れない芥川賞作家がよく頼まれるアルバイトですね)



だから、ベテラン組に運命の女神が微笑みますように。

直木賞作家のフトンというタイトルは意味はござあません。
例えて言えば、純文学は枕のようなものであり、つまり、頭を支えるものであり、大衆文学(って今でもいうのかな、書いててぎょっとするけど、エンターティメント文学?)はフトンのようである、なんて、ちゃちな比喩にでもしてしまおうかしら。

では、
将来のために、受賞の言葉でも考えて眠りますか。
(っくらいの冗談は言ってもいいかしら)

合掌