山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

迷い犬

昨日、逗子にあるマリーナのひとから電話があって
数日前から、ゴールデンレトリーバーがマリーナのなかをうろうろしているのですが、お宅の犬ではありませんか、と言われた。

え、そんな。
飼い主が引きこもって、世をはかなんでいたせいで、うちの犬たちは家出し、楽しかった思い出のある、海辺の街まで歩いて行ったのか?
まさか。

そう思って、見回すと、床に重なりあうようにして寝ていた二頭がいっせいに顔を上げ、
「なに?」
「ごはん?」
と、愛らしく首をかしげていた。

ああ、よかった。ちゃんといた。

しかし、うちの犬はよくても、お正月の間迷っていた犬はどうなるのか。
海に出たまま、帰らぬ飼い主を待っている?
そんな、犬より先に、マリーナのひとが遭難を知ってるはずだし。

もっとも考えられるのは、近くの公園か海辺に犬が捨てられ、
彼なりに飼い主を探して、マリーナにたどり着いたということ。

うう、正月そうそうあんまりだ。
なんで、そんなふうに犬を捨てることができるんだろう。 犬のしつけのひとつに『待て」というのがある。
犬を座らせ、「待て」と号令をかける。すると、飼い主がその場を離れても、犬はじっとすわったまま、飼い主が戻るのを待つ。
根気良くしつければ、どんな犬も「待て」を覚えることができる。

以前、テレビの番組で取材した、犬の訓練士さんに、
「犬は、待っている間、何を考えているのでしょう」と聞いてみた。
すると、彼はまるで自分が犬であるかのように答えた。
「絶対、飼い主さんは帰ってくるって考えているんです。
 そう信じているからこそ、待ってるんですよ」

そう、犬は飼い主を信じる。まさか、飼い主が自分を捨てる、とは想像できない。
これは何らかの事情で飼い主とはぐれただけなんだ、とずっと信じて、飼い主を探し、
飼い主を待つのである。

そうやって、捨てられたことも知らずに待ち続ける女の気持ち。
じゃなくて、犬の気持ち。

想像しただけで涙が出る。彼等は信じたまま、死んで行く。

そんなわけで、今日は急きょ逗子に行ってきた。
三頭も犬を、しかも、大型犬を飼うのは無理だ。無理だけど、マリーナで待ち続ける犬をほっておけない。
ドッグレスキューとか知り合いにあたるとか、なんとかなるかもしれない。

新しい飼い主が見つかるまで、うちで面倒みてもいいじゃないか、などど気持ちは揺れる。

が、めでたいことに無事、飼い主が迎えにきたそうである。
マリーナのひとが、保健所に連絡したら、飼い主が捜索願い(っていうのかな)を出しており、すぐに、再会となったらしい。

私たちが(犬2匹と)マリーナに着いた頃には、すでに、涙の再会は終わった後だった。ちょっとその、迷い犬に会いたかったけど。

ああ、よかった。
思わず、自分の犬を抱きしめたのだった。