山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ウナギはどこへ行く。

今日は、久しぶりにウナ重を食べた。

年末から新年へと続くお休みのおかげで、外で食事をすることが多かったけれど、
もう、なんて言うか、特に食べたいものも、行きたい店もなくなってしまった。

というと、ずいぶんと贅沢だけど、追求型グルメでもないので、そこそこ美味しかったら、なんでもいいや、って気分だし、いちいち考えるのがめんどくさかったりする。

しかし、日、祝日は魚河岸が休みだから、寿司やはNGだし、ちょっとした和食屋は休みだし、イタリアンは逗子で行ったし、フレンチに行くには疲れているし、焼き肉はハードだし、中華は、十番の登龍行ったばかりだし、で、ほとほと行くところがなくなった。

そこで、たまたま通りかかった、青山のCIプラザのウナギやへ行った。
CIプラザってのもなんだか、さびれていた。
私が大学生の頃は、CIプラザっていえば、おしゃれな店とひとの集まる場所だったのに。
今やその面影はなく、FOBコープ(おしゃれ雑貨やさんね)だけが、ちょっと輝きを残している。

飲食店で営業しているのは、居酒屋「北の家族」と「大江戸」(ウナギ屋さん、確かこんな名前)だけ。
まさに寒風吹きすさぶ感じで、ものさびしい。

一瞬、店に入るのをやめようかと思った。
(だって、こんなさびれてたら、美味しいわけないし)

が、寒かったので、どうでもよくなり、格子戸をくぐる。
と、中は一転、温かく、民芸調のしつらえで、懐しいたたずまいである。
(多分、伊藤忠のひとが外国人をよく連れてくることも計算にいれ、全体的に外人の喜ぶ、「和」チィックにしてあるのだろう)

店内は、人類が滅びたと思って、氷河の間を彷徨した末、小さな洞窟に入ったら、たくさんの生き残りの人たちがいた!という瞬間を想像させるものがあった。
(って大げさだ)

つまり、たくさんの客でにぎわっていたのだ。
それも、老夫婦2組とか、上品な家族連れとか、長い間つきあっている風情のカップルとか、まことに、同じ店内で席を囲むのに望ましいタイプの客層なのである。

こういった客層に共通するのは、「ウナギ」を食べることが本来の目的の人たちばかりである、という点である。
目的が「ウナギ」じゃなくても、「おいしいものを一緒に食べる」ことが目的のひとたち。

ちょっとしたフレンチ、イタリアン、高級寿司などでは、食事本来の目的ではなく、接待、営業、色恋などの下心に満ちた客が多く、彼等は大変、目が血走っていたり、鼻息が荒かったり、酒飲んでうるさかったり、おべっか言い合ったりしているので、いやなのだ。

(もちろん、自分だってそういう立場になることあるけど、そういう時ってどんな美味しいものでもちっとも美味しく感じないものだよね)

せめて、お休みの日には、そういう醜い合戦を見たくないもの。

で、まあ、安心して、うな重を頼んだわけである。
しっかし、久しぶり。

かつて、うな重と言えば、寿司にならぶ、店屋物のごちそうの雄ではなかったか。

ちょっとした来客のおり、家族にめでたいことがあった折、などに「ウナギ」か「寿司」が注文されていたように思う。

時代は経て、寿司はすっかり世界制覇を果たした感がある。
世界中にその名を轟かせているし、日本でも、寿司屋は回転から高級までいろんなタイプの店舗を増やしているように思う。

実際、私ですら、よく行く寿司屋のバリエーションを持っている。
深夜営業の店、なじみの大将のいる店、ちょっと奮発する時行く、高級寿司、などなど、である。

が、ウナギはどうだ。
だいたい、ウナギやというものを見かけなくなったし、あえて、ウナギを食べなくなってしまった。
大丈夫なのか、ウナギは。

今日出かけた店のウナ重は、味付けも程よく、柔らかく、肝吸いも味わい深く、お漬け物もたっぷり供され、まことに満足のいくものであった。

しかも、お店のおかみさんの対応がよかった。
慣れなれしくもなければ、クールすぎず、いかにも「ウナギや」っぽかった。

寿司は、いろんな魚のバリエーションで食べさせるけど、ウナギやはウナギだけだ。
白焼きなどもあるにはあるけど、蒲焼きだろうとうな重だろうと、味付けはあの、日本人には、おなじみの甘しょっぱいものオンリー。

よくもそれだけで、ずいぶん、高い地位を確保していたものだ。
ううん、ウナギ、結構えらいじゃないか。

ちょっとほっこりした、休日の夕ご飯でした。