山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

食用おやじ

食用おやじとは、食用カエル、食用カタツムリ等と同じで、料理に使われる食材のひとつである。
年代ものほど、味わい深く、その分、値段も張る。一部のグルメの間で最近、評判になっているジビエのひとつだ。

というのは、大嘘で、「豪華なレストランに連れて行ってもらったり、高価なプレゼントをもらうためのおやじ」のことらしい。らしいというのは、私がそのように使用しているからではなく、久しぶりに会った、年下の女子が語っていたからである。

彼女は、援助交際が話題になったころ、10代を過ごしたせいか、常に誰かに頼って生きることに慣れている。いや、世代の責任にするのは失礼だ。
たぶん、それが彼女の個性なんだろう。

私が彼女と知り合ったのは、彼女が20代前半で、芸能界のお仕事を始めたばかりの頃だった。輝くばかりの美貌をお金に変える方法として彼女は女優を目指したが、残念なことに芝居の才能は全くなかった。

が、やっていることの残酷さとはしたなさを置くとしても、いつも正直で明るく、友達思いなところがあって、(当時私も生活荒れてたこともあって)、年の差を超えて仲良くなった。
よく朝まで飲み歩いたものだ。

が、ここ数年はすっかり音信不通だったし、最後に会った頃、彼女は、某繁華街で接客業をしていたのだが、あまりにハードな暮らしぶりにつきあいきれなくなって、なんとなく疎遠になったのだった。好きにしろって感じで。

ところが、何の因果か最近連絡があった。私の本を買って読んだ、というのだ。
「え、本、読めるの?」
と失礼なことを思ったけれども、だって、彼女は当時のプロフィルには短大卒となっていたが、実際は中学も満足に通っていなかったようだし、(これは本人が教えてくれた)、台本には、小学生が習うような漢字にもよみがなをふっていた。

そんな彼女が、昔なじみの名前を本屋で見つけて、買ってくれたという。「読んだ」のがほんとうかどうかは聞かなかった。そんなことはいいんだ、買ってくれただけで。

彼女は現在、美術品を扱う仕事をしている。
「これが結構、水商売と同じなんですわ」と笑った。
彼女は、客からしばしば食事に誘われるそうである。
こんな時代に美術品を買い求める客というのは当然リッチであるし、年齢も高い。

店に来て、すぐに商談成立ということはまずない。
まずは、食事でもってことになるらしい。
ここからが見極めの難しいところ。
相手の目的が美術品なのか、彼女自身なのかを、見極めないといけないらしい。

「こっちは壷買って欲しくて何度も会っているのに、向こうはこっちと寝たくてメシに誘ってくるわけですよ。いつまでやってても、お互いの目的が合わないから、疲れますよ」
とのことであった。

かつては、その手のリッチなおじさまに、いろいろ援助してもらっていたじゃなの、と問うと、食用おやじは、別にキープしてますけど、商売とは別ですよ、と妙に頼もしいことを言ったのである。

彼女のすごいところはすでに、子供がいて、(知らない間に結婚して出産して、離婚もしていた)、食用以外にベビーシッター用の男性も確保しているとのことであった。
いろいろ男性を操って、生きているのである。まるで鵜匠のごとくである。

しかし、そんな彼女もすでに三十路。夜が更けると弱音を吐くのだった。
「この間なんか、食用だと思っていたおやじから、たまにおごってよって言われて、ものすげえ、腹立ちました。ケド、焼きが回ったのかな」と。

ふむ。
そんなの、たまにはごちそうしてあげればいいのに。ちょっとそのおやじがかわいそうになった。

年をとるのは残酷だ。彼女だって、いつまで、鵜匠でいられるかわからない。

けれども、ここまでやってきたんだから、妥協してヨメになんていかないで、とことん、いろんな男からお金を吸い取って生きて行ってほしいと思った。

誰かに支払ってもらっているという高級マンションに、千鳥足で消えて行く後ろ姿を見ながら、「がんばれよ」と言いたくなった。