山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

食用おやじ その2

昨日、「食用おやじ」について記したところ、驚異的なアクセス数を記録しました。
新年明けてからは「芥川賞作家のマクラ」を抜いて、トップに踊り出ました。
ので、今日も同じテーマで。
みなさん、「食用おやじ」にこんなに興味があったんですねえ。

昨夜書いたのは、元・美人女優さん/風俗経由/現・美術商の友人による、鵜飼い的、食用おやじ利用法であったのですが、彼女ほどまで徹底していなくても、食用おやじをお持ちの方は少なくないと思います。

若い女性であるなら、あんまり興味のないおっさんでも、豪華なお食事に誘われるとつい、ついて行ってしまうことありますよね。
仕方のないことですし、案外、そのおっさんのお話が楽しくて、盛り上がることだって十分あります。
そういう場合、おっさん、おやじなどの蔑称から○○さん、と名前で呼ばれ、女友達との報告会で発表されます。挙げ句は恋愛関係に発展することだってあります。

ちょっとしたおしゃれレストランというのは、社用/商談は別として、この手の食用おやじと鵜飼い的美女の組み合わせが案外支えているといえなくもないと思います。

わたくしですら、そのような会食をしたことはありますが、しかし、いくらお金に困っていても、結構つらいもんなんですよね。
気の合う場合はよろしいですが、こちらが一方的に相手に合わせないといけない場合は、ほんとにつらい。売春というのは、なかなかしんどい仕事だと思います。つまり、食欲/性欲というヒトの本能に関わる快楽を売り物にするんですから、辛さも本能を刺激するんです。

性欲はちょっとおいておくにして、結局、人生って誰とご飯を食べるか、だと思うんです。
一緒にご飯を食べると、ちゃんと美味しいと感じられ、気持ちが落ち着く。そんなひとたちと何回一緒に食卓を囲めるか、に人生の充実度は関わってくると思います。

だから、「食用おやじ」を持っている彼女は少しかわいそう。そんなことのために、貴重な時間を無駄にしてる。
「いや、あたし、グルメっすから」と
彼女は笑いましたが、彼女にとって「食用おやじ」は彼女がまだ、女としてイケてる=売り物になることの証明なんですよね。
それが彼女の自我を支えている。(ちょっとコムズカシイ展開になりつつありますが)

一方のおやじの気持ちだって、似たような部分があると思います。
こんな美女を捕まえていられる俺ってイケてる、という彼の存在証明でもある。
金銭的尊敬か、社会的地位か、外見か、キャラか、いずれにしても、目の前の美女は、彼にそれだけの価値のあることの証しなのです。それが彼の誇りを支えている。

そのようにして、「食用おやじ」VS「鵜飼い的美女」の会食を見てみると、これはもう、
ものすごいアイデンティティの存亡を賭けた壮絶な戦いなんです。
「オマールエビ、好きなの」
「パルマ産の生ハム、頂きたいわ」
などの会話の向こうに、うずまく、どす黒い欲望の応酬。

いやあ、おしゃれレストランつうのも、タクシーの後部座席に劣らず、ドロドロ人間ドラマの発祥の地かもしれません。

最後にひとつだけ、賢い女子がいうには、「食用おやじってイタイ」そうです。
彼女はその手が嫌いで、ハナから相手にしないそうですが、その理由は
「わたしはそのイタサに耐えきれなくて、エンコーできなかったクチです」とのこと。

いえ、これがしごく真っ当なヒトの子の意見でしょう。
でもさ、真っ当でいられない「鵜飼い的美女」の彼女の気持ちも、私はわからなくないのでした。

と、今日も結論はでませんでした。
合掌。