山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

私をふった○人のオトコ

「私をふった5人の男」というドキュメント小説を読んでいます

作者は、スーザン・シャピロという39歳のアメリカ人女性。
(ニューヨーク在/ジャーナリスト)
すでに結婚しているんだけど、子供はできず、雑誌のライターなんだけど、なかなか本を出版できず、くさっている日々、偶然、前にふられた男から連絡がある。

そいつが、(文才なんて全くにないはずだったのに)本を出版、ハーバードで講義を持っている、いわゆる「勝ち組」だとわかる。
しかも、今は離婚して独身だけど、ガールフレンドは24歳!だってさ。
(ちなみにそいつは40代)
で、激しく動揺するスーザン。

それがきっかけになり、過去に自分をふった男に会いに行き、
「なぜ、わたしじゃだめだったの?」
と聞いて回るというストーリーです。

ま、実際には、「なんで?」と聞いて回ったりせず、その時々の男との出会いと別れについて回想するお話なんですけど、キャッチはうまいなあ、と思いまして。

だってさあ、聞いてみたいじゃないですか。
「なんであのとき、私じゃなくて、あっちに行ったのさ」とか
「いったい、わたしのどこが悪かったのよ」とかね。

しかしですね、つらつら考えるに、しっかりつきあったひとには、聞くことなんてあんまりないなあ~とも思いました。
だって、なんでダメだったかなんて、聞かなくてもわかるもん。
(少なくともわたしは)

わかんないのは、もう少しでうまくいきそうだったのに、なぜか、逃げられた・・じゃなくて、終わった相手かな。
こっちのが気になる。

「死ぬ時後悔するのは、やったことよりやらなかったことだ」
とヘンリー・ミラーがどっかの本で言ってましたけど、これは恋愛にもあてはまりますよね。
(だから、ヘンリーはたくさんの女性と関係をもった?)

とりあえず、やったひとはさ、やったなあ~ってことで気が済むものです。
(ってそんなこと考えてるのは私だけだろうか)
心残りはやらなかったひと。
あ、展開が下品になってきた。

しかし、仮に「恋愛に進めなかった理由」を聞くチャンスがあったとしても、実際は聞きたくないかもしれない。
要するに、「あんたのココが嫌」ってことを聞かされるわけで、そんなこと、今さら聞いても傷付くばかりだよね。

世界中で(っていうか、アメリカやヨーロッパや日本や台湾や韓国くらいで)
30代の女のひとたちが、迷ったり文句いったりため息ついたりしている。
かつてはみんな結婚に回収されて、そんなこと、特殊なひとの悩みだったはずだけど、
恋愛が自由になった分、悩みも増えちゃって。

けどさ、年をとってわかるのは、人生は長いので、チャンスは巡ってくる、ということ。
一度、ふられても、月日がたって再会し、また、始まることもある。
10代/20代のころって、失恋すると「これで終わり」って絶望するけど、最近では、離婚して戻ってくることもあるし、生きている限り、チャンスあり、と言えなくないです。

その日のために、元気でいるか。