山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

おっぱいは企画書である

いきなりなタイトルですけど、

おっぱいは企画書のようなものだ

と知り合いのテレビドラマのプロデューサーが偉そうに語っていて、それがちょっと面白かったので。

テレビドラマを作る時には、まず、こんな感じのストーリーとテーマでってことで企画書を作る。
その企画書を元に、俳優さんその他を口説くわけだが、実際、企画書通りのドラマが出来ることは殆どないのだが、それはすでに常識になっている。
作っていくうちにどんどん変わっていく。

けど、最初は企画書が必要だと。
しかも、企画書は目立ってなんぼ、ひとめで何がやりたいのか分かりやすいほうがいい。

「たいてい、企画書なんてちゃんと読んでくれないからさあ、ざっくり分かりやすいほうがいいわけよ」
と前出のドラマpは語るのであった。

で、なんでおっぱいと?

彼が言うには、女性などを見る時も、実は同じようなものだ、と言うのである。
ざっくり、この女性の魅力はどこかな、とわかりやすさで魅かれるもんだ、と。
例えば、胸がでかいなあ、なんてことが記憶に残る。
彼女をどこかに誘うとしたら、きっかけは「でかい胸」ってことになる。
が、心底、それだけがテーマではなく、胸から入ったけど、関係はどんどん変わっていき、
他のよいところ、悪いところも経験していくわけよ、
と仰るのであった。

だからさ、胸がでかいのは大好きなんだけど、
(やっぱり好きなんじゃん!)
そんなもん、入り口なんだよ、と彼は言いたいようであった。

彼なりの恋愛論なのだった。

つまり、最初のひっかかりは企画書のようであるから、「自分の売り」を分かりやすく出したほうがいいと言っているようでもあり、一方で、それはしょせん「企画書」止まりであるから、「企画書、放送するわけじゃないからね」ということになり、いくら「企画書」が立派でも肝心なドラマが面白くないと、どうにもならない、ということであった。

まあ、失敗するテレビ番組に、「企画書づらは面白かったんだけどねえ」というのがあるが、そんなところか。

案外、ヒットとする番組というのは、根っこのところはシンプルだったりする。

案外、うまくいく恋愛は、根っこのところでシンプルだったりするのかな。

ほんの2,3日まえに、脱・恋愛と宣言したくせに、またまた恋愛めいた話をしてしまった。
うふ。
しつれいしました。