山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

女は35歳まで?

アメリカのテレビドラマ「THE SEX AND CITY」で、シャーロットの36歳の誕生日を祝うために、女友達4人でアトランティックシティにでかける、というエピソードがあった。

アトランタシティにはカジノがあって、ミニ・ラスベガス状態なんだけど、そこで、4人はルーレットをする。主人公・キャリーは、36歳の誕生日を記念して、36に賭ける。
結果は負け、なんだけど、その時のやりとりがふるっていた。
ルーレットには1から36までしか数字はない。それに気づいたキャリーはディラーに尋ねる。
「36より先はどうなるの?」
「さあ、知らないね」

そう、誰も知らないんだ。

以前、仕事をしたけっこう売れっ子のスチールカメラマンが、
「女は35までだよな」と言っていたのを思い出した。
その時、私は35歳になっていなかったので、それほど切実な気持ちでは聞いていなかった。
ただ、彼はすでに40代の後半であったのに、なぜ、女にだけ年齢のタイムリミットをつけるのかと、不快に思った。すでに彼の妻も40代であったのに。

「35歳まで」とは、恋愛対象あるいは、セックスの相手になれる上限が35歳までという意味で、彼は語っていた。
男は無期限でいつまでも男でいられるのに、女は35歳をすぎたら、女を引退しないといけないの?たぶん、昔はそうだったのだと思う。

時代は過ぎてしまった。引退する気がなければ、女のひともいつまでも恋愛というマーケットにいることはできる。そのための若返りアイテムは山ほどある。
本人さえその気なら、いつづけることはできる。
もう、そういう時代になったのだ、ということを、中村うさぎさんのドキュメンタリー映画「UTAKATA」を見て思ったのだった。

いいか悪いかは別だ。
自由といえば自由、つらいといえばつらい。
どっちだとしてもそれが現実だ、ということ。

いや、いろいろあるけど、「選べる」ようになったんだもの。
以前のように、本人の気持ちと関わりなく、無理矢理「引退」させられていたよりずっといい。ずっといいって信じよう。
引退するのだって、自由なんだから。