大学の同級生だった友人と話したときのことである。
彼女は、あと5年したら、東京での仕事をたたみ、夫婦で海外に移住して、ペンションをやる、と言っていた。
そっか、もう、そんな年なのか、と驚いた。
なぜなら、私はその時、やっとやりたいことが叶いつつあり、人生がようやく始まったばかりだったからだ。
なのに、同じ年齢の彼女はもう、仕事おさめをしようとしている。
驚いた。
がしかし、そんなことはひとそれぞれであるし、今の仕事に未練がなく、新しい暮らしに希望があるならそれでいいと思う。
私が、小説を書くとお金が儲からなくなるのだが、当分頑張るのだ、と話したところ、
彼女は言った。
「別にエルメスで買い物できなくてもいいじゃない。やりたいことがやれるなら」
彼女は、日本では結構な稼ぎをしているはずなのだが、そんなことにそれほど執着はないようだった。
結局、ほしいのはお金じゃなかった、ということを長く生きてきて知るわけである。
その時、彼女のジーンズには、ルイ・ヴィトンのベルトが光っていたが、
それはヴィトン>エルメスっていう趣味の問題じゃない。
(当たり前だけどね)
エルメスの商品は魅力的だけど、普通の生活をしていたら、そうそう買えるものではない。
けど、買えなくてもいいやって思えるようになることは、悪いことではない。
負け惜しみじゃなくてね。
いつものように深夜、六本木ヒルズのフードショー(24時間営業)に食料を買いに行った帰り、ブランドショップの並ぶ通りを車で走りながら、急に彼女の台詞を思い出したのである。
「いいじゃない、エルメスなんか買えなくても」