山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

メールの怖さと儚さ

電話が苦手である。
恐怖でさえある。
ので、フリーランスの身でありながら、いつも留守電にしているし、携帯もあまり使わない。

このような臆病者なので、メールの登場は大変ありがたかった。
全ての仕事のやり取りをメールで行っているし、友達との連絡もメール一辺倒になった。

が、メールもよしあしだなあ、と思う。
ずっと仲の良かった友達とメールがきっかけで険悪な関係になったことがある。
「不倫したことあるよ」と書いたら、主婦の友達から猛攻撃を受けた。
こちらも、能力全開で彼女のメールに反撃。バトルは日々悪化し、毎日お互いのあらを探してののしりあうようになった。

会って話していれば、そこまで踏み込むこともなかったし、電話なら声の様子で相手を思いやることもできたと思う。けど、メールでは相手の息づかいは感じられないのだ。
彼女とは会うと何時間でも楽しくおしゃべりできるのに、メールだとついけんかごしになってしまう。

逆に、メールだとなんだか気の合うような、励まされるようなやりとりができるのに、実際会うと、うまくいかない場合もある。
これはなんだろう。
メールで嘘をついているからかな。

メールは私信であって、メディアではない。
ごっちゃになると(そこでフィクションを描くようになると)とても恐ろしいことが起こるような気がする。

やっぱり嘘の文章は書きたくないんだよね。
小説ってフィクションを書くわけだから、「嘘」を書くようにも思われる。
でも、ちがうんだよね。
事実ではないだけで、書いてる気持ちにいつも「嘘」はない。嘘は書けない。
(少なくとも私には)

そんなわけで、最近はメールもそんなに書かなくなった。
まあ、毎日の日記(これのことね)と小説と映画のシナリオとエッセイとテレビの構成もあるので、そうそう書いてもいられないつう事情もあるのだけれども。