山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

誰かが嘘をついている。

毎日、いろんな悲惨な事件が起こる。
殺人事件もあれば、金銭絡みの事件もある。
事件が発覚して、警察が動き、司法の出番になるわけだが、
裁判にのぼっても、全ての真実が明らかになるとは限らない。

こんな大風呂敷を広げなくても、自分の周りでも、ひとにとっては「どうでもいいこと」かもしれなくても、自分にとっては大事なことだったりする、事件は起こる。
毎日起こる。

自分の周りで起こるようないっけん些細な事件ですら、真相はなかなかわらかない。
誰かが嘘をついているから。
はあっ。

嘘にも二通りある。

生涯突き通せば、真実になる嘘と、
なるべく、早いうちに本当のことを言って謝った方がいい嘘。

男女間の恋愛に関しては、「嘘は突き通せ」って私は思う。
例え、浮気をしていても、最後まで口を割らなければ、浮気はなかったことになる。
「気持ち」っていうのは、ふわふわ実態のないものだから、「言葉」にしなければ
嘘と本当の区別はあいまいなまますむ。

ほんとはどっちのひとを愛していたか、なんてことは、言葉にしてもわからないけど、言葉にしなければ、永遠に誰にもわからない。

例え、二またであっても、最後まで、「好きなのは君だけ」
と通せば、やがてそれは本当になる。
なるかもしれない。

もうひとつの「嘘」はなるべく早く認めた方がいい「嘘」。

汚職やらなんやらの事件の場合。
ここには、「やったかどうか」の真実しかないわけだから、嘘をつきとおして、逃げるより、結局信頼の回復は早いように思う。
もちろん、嘘を認めたところですべての罪が消えるわけじゃないけど、嘘をつかれた方も、「嘘でした、ごめん」と言ってくれれば、少しはほっとする。

こういう「少しほっとできるかどうか」が実はさ、どれが真実かより、結構大切のように思う。

しようもない恋人でもうまくだましてくれれば、笑えるくらいにはオトナだし、
仕事の上の間違いも早めに教えてくれれば、「訴えるぞ!」なんてことにはならないだろう。

できればムカつかずに、生きて行きたい。