山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

多重人格のすすめ

自分は多重人格である。
なんていうと、ビリーミリガンみたいな、犯罪者を想像されそうだけど、程度の差はあっても、今の時代って、ひとは多重人格にならざるおえないのではないだろうか。

つまり、今ってやっぱりものすごく複雑なので、時と場所と相手によって見せる部分がちがってくると思う。どこへいっても誰の前でも、自分全開にしていたら、疲れてしまう。

私のなかには、すくなくとも、ひとつの番組をつくるスタッフ分の人格がある。
(このように物事を考えるってことはしみじみ、自分はテレビ業界のひとなのだとあらためて認識し、複雑な気持ちになる。が、物事をテレビ番組を作るように取り組むとなんでも説明しやすいことは事実である)

まず、プロデューサーのような人格。

これはとても分量は少ないが、いざと言うときは出てきてもらって、愛想をよくして、いろんな人と知り合ったり、交渉したり、ほがらかにふるまったりする。お金のことを考えるのもこのひとだ。先のことを考え、冷静に判断してくれる。

次に監督的、あるいは、作家的人格。

このひとは、ひとつのテーマを集中して、考えたり、想像力を含まらせたりする。愛想は悪く、気分の高低差が激しく、ひとの好き嫌いも激しい。が、私の中核をなしている人格なので、この部分を出しているときに、知り合って、気に入ってもらえた場合は、友情もしくは恋愛が成立しやすい。
が、お金のことを無視してとんでもない買い物をしたり、あと先考えずにひととケンカしたりする。こいつは、頑張ってくれるときは有り難い人格だが、一度機嫌をそこねると、全人格が損益を被るようなことをする、面倒なやつである。
(常に、プロデューサー的人格から、「けんかしちゃダメ」と言われている)

次にアシスタントディレクター的人格。

このひとは、基本的に働きもので、滅私奉公で、動きが軽い。こんな人格が私にあったのかと自分でも思うけど、あることはある。この人格は、さっさと部屋を掃除したり、いつまでも嘆いている監督的人格を追い払って、調べものにとりかかったりする。この人格がなかったら、偉そうなだけの嫌な奴になっていたにちがいない。

ほんの少しだけど、女優さん的人格もある。

プロデューサー的人格とかなりにているけど、ちがうのはナルシステックなところ。監督的人格ともダブル部分もあるが、方向がちがう。若い頃はこの人格が酔っぱらうと出現し、とんでもない事件をひきおこしたものだ。

ここまで書いたら、ほんとに、自分が多重人格のちょっとおかしいひとに思えてきたけど、いいたかったのは、自分のなかに、いろんなひとがいるよな、ということでした。

このブログにしろ、
プロデューサー的人格が、
「こういうの続けた方が、本の売れ行きにつながるかもしれないよ」と薦めるのではじめ、作家的人格が
「毎日、書くのは楽しいよん」として、実際の執筆(っていうほど大したもんじゃないけど)を担当し、
AD的人格が、リンクのはりかたや、更新のしかたをお勉強して支えている。

そんなことを考えたのでした。
(おかげで、普段の生活は順調です。たぶん)