山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ゆるやかな自殺

知り合いで、合法的安楽死による自殺があったらいいなと考えているひとがいる。
彼が言うには、自殺が合法化され、例えば、50歳で自殺すると申告する。
で、平均寿命マイナス50歳分の社会保障費などを前倒しでもらう。

その余分なおお金を使って、短期間であるが、楽しくすごし、時期がきたら、麻酔注射などを使用して、痛みを伴わずに、安心して死ぬことができるシステムを考案している。
(って別に、しゃべっているだけだけど)

彼自身は、とても優秀なひとで、その経歴を聞いたら、あなたが自殺しないといけないんなら、日本中のひとみんな死なないといけなくなるよ、というくらいのひとなんだけど、彼自身はすでにこの世にそれほど強い執着を持っていない。
年齢を重ねるごとにこれ以上、楽しいことは起こらないと諦めているのである。

彼の気持ちがわからなくもない。
確かに、この世は、あらゆる手を使って、年老いることも楽しいと説得してみても、事実はそうではない。
まず、「老いても生きる」ひとがこれまではそれほどたくさんいなかったし、だから、楽しい老い方の研究も開発もまったくされていたなかったのだ。
つまり、老いという未開の場所に、大多数のひとはいきなりほおりこまれるわけである。

そこで、楽しさを見つけて生き抜くのは、かなり高度な技術がいると思う。
孫がかわいいとか、趣味にはまるとか、死ぬまで仕事、芸術など打ち込む対象を見つけることのできたひとは、幸福であるけれど、それはそんなに簡単ではないように思う。

しかも、それまで「老い」を否定する側にいたのに、気が付くと自分が否定される側に回っているわけだ。それは結構きついことだと思う。
だから、中高年の自殺が増えるのはよくわかる。
だって、ほんとは救いなんてないんじゃないか、と。

そこで、彼の提案する、合法的安楽死である。
回りに迷惑をかけずに、合理的に行われる自殺。
案外、悪くないと思う。

しかし、この話をしていて、根っからの物語志向である私は、そんな時代がきたら、きっと
こういう展開が予想されると思った。

例えば、40歳の男が、50歳で合法的自殺をすることを決め、定額の料金をもらう。そのお金で残りの10年を遊んで暮らそうと決める。が、49歳の時、好きなひとができるとか、生き甲斐が見つかるとか、そういう事態にはまって、自殺したくなくなる。
が、すでに前金は使いきっているので、死ぬしかない。・・・そこで、そのシステムから逃げだそうとして・・物語が展開する。

と、考えたけど、この程度の気持ちの変化は最初から、計算にいれないとこのシステムは駄目だよね。
うん。

いや、そんなわけで、合法的自殺についてでした。