山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

日記との長い長いつきあい。

日記をつけ始めたのは、13歳の時だから、もう○十年近くになる。
これはブログだから、多数のひとに読まれることを予想して書いているけれど、
では、個人的な日記と全然ちがうかといえば、それほど違いはない。
(つまり、このブログ以外に個人的に手書きの日記を書いている)

日記を書き始めた中学生の頃から、その日の出来事を書く、というスタイルができなかった。書くのは、その日に起きたことではなく、その日に感じたことだったので、後から読むと、その頃、具体的に何をしていたのか分かりにくい。

例えば、十代の頃の日記に「儀式とはなにか」なんてタイトルがあったりする。儀式がひとに与える影響について、うんぬんしているけど、要するに、親戚の誰かが亡くなって、お葬式に生まれて初めて出かけ、葬式の儀式性に疑問をもったりしたんだと思う。そんなふうに、幼い頃から批評ばかりしていた。トホホ。

長い間、分厚い日記帳に手書きでかいてきたけれど、一時、ワープロで書いた時代もある。
しかし、これは3か月ほどでやめた。なぜなら、ワープロだと手書きより早く書けるので、どんどん書いてしまい、眠れなくなることが多くなったからだ。もともと、夜、眠れないたちであるので、それを紛らわすために始めたような部分がある。それまでは、ベッドのなかで横たわって、万年筆でノートに書いていたのである。

が、ワープロにしたとたん、テーブルに座って書くわけだから、仕事のように止めどなくなるわ、推敲はしちゃうわで、目はどんどん冴えてしまうのだった。

さらに悪いことに、読み返すことができない。
フロッピーに落としてあるが、ワープロそのものが壊れてしまったし、このフロッピーがどれだけ互換性があるかわからない。その時期の日記は、永遠に封印されたままである。
(だからってなにも誰も困んないけどさ)

さらに一時期ロシア語で書いていたときもある。
これは、ロシア語が堪能というわけではなく、当時、結婚していたので、配偶者に日記を読まれたときのことを心配したのだ。
(って、やばいことばかりを書いていたわけではないけど、誰かに読まれる心配があると自由に書けなくなり、それでは書く意味がないと思ったのだ)

ただ、ロシア語といっても、そんなにできるわけではないので、結局、ロシア語のアルファベットを使った文章になってしまった。
今読むと、ほとんど解読できない。当時は自分なりの文法があって書いていたのだろうけど、忘れてしまったので、これもまた、永遠に封印されている。

そんなわけで、なんの役に立つかわからないまでも、せっせと日記を書いてきたわけである。○十年に渡って。
それはなぜかっていうと、結局、楽しいから、好きだから、としか言いようがない。

まあ、付け加えると、嫌なことがあった時の日記は長くなる。その出来事を書くことで、整理し、考えなおし、今後の方針を決めるからだ。

そう、幸せだったら、日記なんて書かない。
いや、それも嘘か。恋愛中などは、浮かれた文章を書いたりしたものだし、デートの様子をこと細かに書いている。再現することで、あきらかにもう一度、うっとりしているわけだ。
ったく、おめでたい。

そんなわけで、日記との長い長いつきあいについてでした。