山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

私なりの供養。

引き続き、父の死について。

9日に身内だけの葬儀をすませ、ひさしぶりにゆっくり自宅に戻った。
洗濯物を片付けたり、ほおっておいたお皿を洗ったりした後、気づいて、犬の散歩に出かけた。
ここのところ、気ぜわしく、満足に散歩させていなかったのである。

時間は夜の1時頃だったと思うけど、まあ、いいやって感じで二頭の犬と出かけた。最初はいつもの通り、近所の公園に行った。犬たちは排せつをし、ボール遊びをし、いろんなところのにおいを嗅ぎ、ひととおり散歩の儀式は終わった。

その後、公園をでて、来たときと同じ道を戻っていったのだが、フト、どこまでも歩いて行きたい気持ちにかられた。特に激しい悲しみに襲われた、というのではない。なぜか、ほんのりあたたかい春の夜をずっと味わっていたい気持ちになったのだ。

そこで、父の最後の仕事を見に行こうと思った。父親は建築家であった。最後に手掛けた大仕事は、私たち姉妹の通った、東京女学館という学校の校舎の新築工事であった。

父がこの仕事を引受けることになったのは、姉が中学生のとき、学校でビールを飲むという不始末を起こし、停学だったかをくらったのがきっかけだった。そんなできそこないの生徒の親に、校舎の新築工事を頼むことになるとは因果なものだが、姉の不始末がきっかけで、父は当時の校長と親しくなり、その10年後、仕事をひきうけることになったのだった。

広尾にある学校まで、私の家から30分ほどである。歩いて歩けない距離ではなく、犬がいると歩くのはまったく苦にならない。
ひとけのない明治通りをとぼとぼ進んで行った。

途中、ザ・ギンザでウインドウショッピング。広尾の商店街をぬけて、聖心女子大の前を通る。長い坂を上ると、静かな住宅街だ。リッチで新しいマンションがいくつか建っている。近代建築の粋って感じで、日本の住宅も捨てたもんじゃないな~とか、こんなところに住んでみたいな~などと思いながら歩く。

日赤医療センターが取り壊され、マンションの工事が始まっている。ここで、フト、ある記事を思い出す。この高層マンションの建築に、母校である東京女学館が意義を申し立てている、というもの。

そういえば、父がそんなことを言っていたような気がする。女子だけの学校の前に、高層マンションが建つのである。高層階からは、なんらかの手立てを使えば、校内が覗けてしまう。それはまずいのではないか、と。

思えば、私が高校生のころから取り沙汰されていた問題だった。体育のための着替えのときは、教室のカーテンが強くとじられたものだった。それでなくても、東京で一番、美人が多いと言われた学校である。(エヘン)。文化祭には、入場チケットにプレミアがつくほどだったのだ。

女子高生フリークのリッチなおじさんが、高層マンションを購入し、日夜、望遠鏡を使用しないとは限らないのではないか。

おっと・・。父の供養の話をしているつもりが、つい、話題がそれた。

そんなことをつらつら思いながら、校舎に着いた。
レンガ色の壁に白い鉄さくが載っている。なかなか上品なたたずまいの外壁である。なかには、わがままで遊んでばかりいる生徒たちが、わんさかいるにもかかわらず、ずいぶんと洗練されたたたずまいである。

真夜中なので、校舎の全貌はなかなか見えないけど、娘の自分がいうのもなんだか、まあまあの出来ではないか。
そのまま、犬とともに、校舎のまわりを一周する。正面が高校・中学で、坂を下ると小学校である。大学は、南町田にあるので、ここでは、白いセーラー服を着た、十代の少女たちがお勉強しているのである。

そう、私のはじめての小説は、ここが舞台だった。
いろんなことを思いつつ、校舎巡りが終わる。父は命つきて、この世を去ったが、その作品は目の前にしっかりとあった。そして、明日も多くの生徒たちで溢れるのかと思うと、よい仕事をしたじゃないか、などと思うのだった。