山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

都会で野性と出会うには。

東京に住んでいる。
私の家の前には、40階建てのマンション、25階建てのオフィスビルが見え、地下鉄の駅までは2分ほどである。
昼間は窓があけられないくらい、車の騒音がうるさい。

こんな住宅環境では、自分が生き物であることを忘れそうになる。ほんとにコンクリートジャングル(古いね!)なんである。

が、そんな暮らしのなかでも、野性や自然と触れあうことを大切にしている。しないといけないと思うのだ。
友人はベランダでハーブを育てていると言う。長電話の最中に、そのせいでハチに襲撃されたりするもが、それも一興。そういうハプニングこそ大切なんだと思う。この世はヒトだけのもんじゃないってことを日々、確認できる。

うちの場合は、犬を育てているんですねえ。ガーデニングならぬ、アニマル育て(?)。
ひとがね、犬を飼うのは、やはり、野性に出会いたいからだと思うんです。失われた野性ってやつ。

もちろん、昨今の犬は、自分が犬であることを忘れたようにも見えますが、どっこい、犬は犬、野性はちゃんと生きてます。

うちの二頭も家庭犬訓練試験4級という、犬のなかでは高学歴の知的なグループなんですけど、知性と野性はきっちり共存しています。(ヒトもそうあるべきだ)

まず、言葉をあやつらない。(当たり前だけどさ)
けど、これがいかに大切か。自分達は言葉に異常に縛られて生きているから、言葉の通用しない世界がある、って認識が必要なんだと思う。

直感で生きている。
彼等は、誰にも教えてもらわなくても、泳ぐことができるし、食べて良い草を嗅ぎ分けることができる。犬好きのひとを見分けるし、雨の日は、よく眠る。
このような、直感で生きる姿をまじかで見ることにより、ヒトの全能感のもろさを思い知るんですねえ。

彼等のそういう姿に毎日触れることによって、世界はヒトのためにだけにあるんじゃないって、よく思うし、小さなことでクヨクヨしていても、犬が微笑むだけで(犬を飼っている人はみんな知っているけど、犬はよく笑う)、気持ちが穏やかになるもんです。

そんなわけで、時々襲ってくる、どうしようもないくらいの、犬への情愛の発露でした。

しつれい。