山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

生きていくのはたいへん

これは公の日記だから、なるべく、愚痴っぽくならないように気をつけたいと思っている。
けど、
毎日、書いていると、そうそう、前向きなことばかりも書けない。

実際、自分はかなり後ろ向きなたちなので、ふるってふるって、ぐるりと首を回して、無理矢理、前向きな方向に持っていっている。ので、時々、疲れてしまうのだ。
つかれた~。

なんでこんなに毎日、たいへんなのに、それでも、生きて行かないといけないのかな~と根源的な部分に立ち至ってしまう。もう、いいじゃないか、終わりしよう、という気分がこっそり襲ってくる。

こういう気分はきっと誰にも襲ってくるものだろうし、ヒトの気持ちのなかには、消えることへの願望はあらかじめ、セットされているよな、と思う。

だいたい、十六から十七歳くらいが、最初のピークで、消えることばかりを考えていた。
もう、いいや、どうでも、と思っていた。子供時代の幼稚な楽しさと全能感が消えてみると、この世は収容所のような学校に通わなきゃいけない、うすっぺらい愛情を振りまかないといけない、とてもつまらないところだと気づいたのだった。

が、実際、消えなかったのは、そうは言ってもまだ、やったことのないこと、見たことのないもの、行ったことのない場所がたくさんあるのだから、試してからでも遅くないのでは?と言い聞かせ、説得し、大学行ったり、恋愛したり、仕事したり、結婚したりしてみたわけだった。

でもって20代つうのは、たいていのことを次々やってみる、ということに費やしたわけだが、そのなかのいくつかが大変、面白く、はまったので、生きながらえたわけですね。
いくつかっていうのは、恋愛やら仕事やらでしょうか。

さて。
今や、たいていのことはやってみまして、(それも、たぶん、同世代の普通の女性よりかなり濃いことをいろいろ試したとは思う)でもって、残りの人生を見渡しているのだけど、そうするとさあ、もう、あまりお楽しみが残ってないんだよなあ~。
もちろん、少しはある。あるにはある。

けど~。
残っている楽しみ VS 予想される面倒
と比べた時にですね、あきらかに、右側の方が重いんだよなあ。

もちろん、人生は数学ではないので、予想される面倒の重さによって、残された楽しみが完全に相殺されるわけではない。面倒はあっても、楽しいことは必ずある。はい。わかってる。

けどさ~。疲れました。

とまあ、ひどく、後ろ向きでございます。
これも、本日三時間しか寝ていないのに、肉体労働があったせいかもしれません。一晩眠ったら、(眠ることができたとして)、気分も変わるかなあ。

とことん、後ろ向きですみません。