山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

彼女たちの時代がやってくる

明日は、「ぴかぴかマンボ」(TX)という家事に関するミニ番組の収録。
思えば、フリーになってから、この手の家事番組はたくさん作ってきた。
効率的な掃除の仕方、おいしいダシの取り方、カシミアのセーターの洗い方まで、あらゆる家事テクニックは、家事番組を作ることで覚えたと言っていい。

自分にとって、この番組に対しては深い感慨がある。スポンサーは、洗剤メーカーの花王さん。花王側のスタッフは全員女性だ。それもみんな結婚していたり、子供がいたりの、ごく普通の女性たち。

私がテレビ業界に入って間もない頃、スポンサーといえば、男性、しかもおじさんばかりだった。当時、某社の一社提供の番組のADをしていた。スポンサー会議といえば、某社の広報部、宣伝部のおじさまたちがならび、某大手広告代理店のひとびと(もちろん、みんな男)が、かしづくようにして、会議が始まったものだ。女性は、某社の広報部でお茶を配る若くてカワイイひとだけ。

そんな会議の席にあって、私は演出部のなかでは唯一の女性だった。某社は先進的な会社だったから、それほど、性差別的な雰囲気はなかったけど、「えらいひとは男」である事実は変わらなかった。

当時の宴会は、温泉地で、私は芸者の格好をして、スポンサーのかたがたにお酌した。それを今さらセクハラだとも思わない。(芸者の格好するの楽しかったし。私と同年代の代理店の社員(男)は女装してホステスやってたし)

そして、時は流れた。
花王さんは、洗剤や化粧品を作る会社である。その主な使い手は女性であるから、彼女たちが実感で作る商品は本当に信頼できる。
スポンサーに女性が増えて、会議や、接待も、変わった。

芸者を呼んで騒ぐといった種類の接待では、女性スポンサーを喜ばせることはできない。
そもそも、家庭も仕事も持っている女性たちは、接待より家に帰って、子供と過ごす時間を大切にする。
結局それが仕事を健全に変えて行く。

女性も一緒に働く、というのは実は当然のことなのだ。 それが当然であれば、セクハラみたいな事件も起こらなくなるだろう。
(相変わらず、職権を使って、女性をなんとかしようとするオヤジが絶えないけど、それはオヤジにとって、女=セックスだからなんだよね。女=人間という図式を納得させるためには、職場にもっと女性が増えて、「女も自分と同じヒトなのだ」ということを、わかってもらわないと。)

まあ、仕事をする女性たちは、この手のオヤジの扱いには慣れているんだけどね。オヤジのほうは、ちょっとニコニコすること、自分は彼女と仲良しだ!と誤解するから笑えるけど。
(陰でゴキブリ扱いされていることも知らず)

もっともっと、自然に女性が働く場所が増えるといいと思う。それが結局、セクハラをなくし、ひいては、少子化さえ、なくすと私は考えている。

今夜はちょっとマジメになりました。
働く女性が増えれば、子供が増えるはず、という理論については、いずれゆっくり書きたい。
(これはスウェーデンで学んだことです)