山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

混沌とした毎日

暑い、暑い、と思っていても、夏だから仕方ないし、夏は好きだから暑くたって平気さ、と
思っていたら、熱があった。
ずっとノドが痛くて、咳もとまらないから、風邪=熱がある と考えるのが普通なのに、夏にかこつけて気づきませんでした。ノドの痛みはクーラーのせい、咳はストレスのせいと解釈しておりました。(咳とストレスの話はのちほど)
さっき、体温を測ったら37.4度で、これは辛いはずだわと妙に納得しました。

このように、自分の体の状態を自分で把握できず、体温計という機器によって、客観的数値を出されて、初めて病いを自覚するようじゃあ、生き物としては失格かしら。まあ、いいか、失格でも。

咳とストレスの関係ですが、これが始まったのは、ADの頃です。仕事がきつくて、先が見えない不安と色恋沙汰に疲れていた頃、咳がとまらなくなりました。結核からアレルギーまでいろいろ検査したけど、どれもあてはまらなかった。要するに、現状不満が咳という行動を起こさせていたわけです。どうやって治ったかは忘れましたが、半年ほどしたら、急におさまったようです。なにも状況が好転したわけでもないと思いますが。

咳=ストレスと知ったのは、その後です。
知人のカメラマンがどこも悪くないのに、咳ばかりしていました。聞くと彼は、家庭争議の真っ最中でした。ああ、ここにも、咳ストレスのひとが、と思ったものです。

そして、私の第二咳ストレス期。十年くらい前のことです。
同棲していたひとが、急にでていくことになり、引き止めもしなかったくせに、咳止まらない病が始まりました。そのひとが出て行くまで、咳は出続け、次の依存対象(正確には恋愛相手か)が見つかると収まりました。なんと、まあ。

そんなわけで、現在も咳に苦しめられています。
原因は、小さなストレスの重なりあいってところでしょうか。
ネットストーカーにより、一時、苦しめられるし、首は曲がっちゃうし、待人には待たされっぱなしなので、一気に全部いやになってしまったわけですね。

ところが、表面的には、「前向きな姿勢」をよしとしているので、弱音が吐けない。目の前のお仕事をきっちりこなすだけじゃなく、自ら企画を立てて売り歩いたり、営業のために、なれない微笑みを配ったり、力の限りをつくしていたところ、身体からデモンストレーションがありました。
発熱と咳でした。あーあ。

それでも来週はいろんな計画がメジロおし。望んでやっているのことなのだから、心せねば。
夜になってますます体温上昇なので、ここらへんで引っ込むことにいたします。
布団のなかで、保坂和志さんの「小説の自由」を読んでいます。しびれる。