山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

本当のことを言おうか。

「本当のことを言おうか」みたいなセリフは、ドラマなどのクライマックスに欠かせないものである。このバージョンに、「本当はあなたが好きだった」などがある。
ドラマも(別に小説でも映画でもいいけど)、終盤になってくると、客は『結論」をほしくなる。そのとき、心にびしっと届くのが、「本当は~だったのよ」というセリフである。

これをきいて、客は納得、安心する。
そうか、ほんとは~~だったのだな。やっぱりなあ。というわけ。サスペンスなどの謎解きと同じですね。犯人がわかって、動機がわかって安心する。それで客は、もといた場所にもどっていけるわけだ。あ~2時間楽しかった~といいながら。

しかし、このとき多用される(ドラマでは終盤に一回ね)「ほんとうは~」って話は、ほんとうにほんとうなのだろうか。本人さえ、無自覚だったりするのだ。もう、ドラマも終わりだから、「ほんとうに愛していたのはあなたでした」なんてことを言ってみたくなるのだ。

だいたい、「ほんとはね~」と言うのは気持ちのいいセリフだ。それまで、秘密にしてきた大事なことを、ここで告白するのだから、快感である。放出とはいかなる場合においても生物にとって快感なのだ。(って強引?)

ではなぜ、「ほんとは~だった」にも関わらず、秘密にしてきたのか。それは、それが「本当かどうか」確信が持てなかったからだろう。「ほんとに愛していたのがあなたかどうか、自信がなかった」わけだ。でまあ、いろいろ状況判断して、そろそろ、決定だしてもいいかな~ってところで言うわけ。
ほんとは愛してました、なんて。

というわけで、セリフについて、考えてみました。真夜中になにをやってる。