山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

この世に不思議なことなど・・

本日は、お仕事のあと、銀座にて、映画「姑獲鳥の夏」を見ました。原作も一応読んでいたし、実相寺昭夫監督ですので、もうすぐ終わってしまうと知り、急いで出かけました。

ううむ。
どうなんだろう。原作にとても忠実だったように思いました。音楽や美術、合成などがおどろおどろしくしてあるけど、全体的にはそんなに怖くない。というか、原作もそうだけど、おどろおどろしくさせて怖がらせるのが目的ではなく、「この世に不思議なことなんてなにもない」ということをあえて言うために、妖怪や不可解な事件をだしている、という感じ。

この世には人知で測れない不思議なことがあるんもんだ、というふうに考え、妖怪や怪談や運命などを信じたいひとに、「幽霊なんてもんは、あなたの頭のなかの現象にすぎないんですよ」と教えるようなもの。わけもなく恐がりたいひと、幽霊の存在などを信じたいひとには嫌われるでしょうねえ。

私も幽霊などより、生きているひとのほうが、どれほど怖いかと思っているので、原作もふくめ、とても納得できるお話でした。ひとは見たくないものが見えた時、見えなかったことにしてしまい、本当に見えなくなる、という現象はよくわかりますもの。

自分の小説の中にも書いたけど、信じたくないことは見ない工夫をする、ってある。夫が浮気していて、いろんな証拠を残しているとき、例えば、仕事ではいかないようなレストランの領収書とか奇妙な時間の電話とかに気づいても、それをつきつめていくと、自分にとって都合の悪い事実にぶちあたるとしたら、知らないふり、気づかないふりをして、やりすごしていくほうが、生活を続けるには、楽だったりする。

ひとにはそういう機能がついている・・ということ。

少なくとも三回は出てくるのが、「この世には不思議なことなどない」というセリフ。しみじみ、私もそう思う。年齢を重ねるごとになおさら。若い頃は、思ってもみないこと、信じられないことがこの世にはあって、いつかそういう体験をするのではないかと期待半分してたけど、今はもう、そんなこと思わない。だって、あり得ないから。

物事はとてもシンプルにできていて、一見、不思議そうに見えても、よくよく解釈してみると納得できることのが多い。そういう意味では人生がつまらなくなってるかもしれないけど。

雨宿りしてたら、運命の恋人に出会う、なんてことはないんだよね。 と、なんにでも水をかけていったら、ワクワクすることが減ってしまうけど。けど、その分、いたずらに動揺して、今日の映画に出てくる女性たちみたいに、自分でつくった自分の呪いで自分が苦しみ、人生を棒に振ることはさけられる。

思い込みは禁物ね。堤真一さんは、なんだか、良かったなあ。