生まれてから、今日まで記憶喪失のひとに会ったことはない。自分も記憶を喪失したことはない。(酔っぱらって記憶喪失に似た状態になったこと、記憶喪失のふりをしたことはあるにせよ)
けれども、映画や小説には、しょっちゅう、記憶喪失のひと、でてくるね。
さっき、テレビでそういう映画の宣伝を見かけてしみじみ思った。そっか、みんな、「記憶喪失」が好きなのね。それくらい、忘れたいことがあるってことかしら。人生をチャラにしたいってことかしら。
結局、人間関係って、記憶でしょ。このひとと、こんなことをしましたって経験の蓄積があって、それが関係性を決めている。記憶がなくなるってことは、関係がなくなるってことだから、肉体が生きていても、死んでしまっていることと同じになる。
と、書いてひやっとする。つまり、ひとと関係をもっていないなら、それは生きていないことと同じってこと?けど、それは違うよね。いいじゃん、ひとと関係もたなくても。
ジャングルでたったひとりで生活するのも生きていることだ。記憶喪失がらみのドラマのうさんくささは、ここらへんから発するような気がする。誰かと強い関係性をもつことだけが、生きることである、と語られているようで、気持ち悪くなる。それがさらに男女のレンアイだったりすると、もう、いいよ、その話って気分になる。
と、とりとめのないことをぼんやり考えながら、雨の休日も地道に働くわたしであった。思えば今日は体育の日。ひさしぶりにジムに行きたいよ~と思ったけど、ジムはお休みだったし、そもそも時間もないのだった。
よるご飯はファミレスだった。
考えてみると、昨日の夜ご飯はコンビニだった。
ま、いいか。
しみじみと疲れのしみてくる毎日だけど、好きな番組作れているし、もうすぐ二作目の小説も出るし、いろいろあっても、充分、しあわせなのだ。別に記憶喪失の力を感じなくても、いい。
そんなわけで、明日もロケだっ。
あさってもロケだっ。
その翌日からオフラインだっ。
次に一日休める日はいつだろう。今月はまあ、望めないとしても、11月になれば、そんな日も来ることでしょう。