山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

Hのうまい女に。

昨日、「爆笑問題のススメ」という番組を見ました。ゲストは角田光代さん。
とても、おしとやかな(彼女みたいなひとにこの形容詞は使うのよね)、聡明な感じの方でした。『人間のもっている基本的な善の姿を見たい」みたいな言葉が、とても身にしみました。そうか、そういう視線でひとを、世界を見ているひとなのだ、いいな、と思いました。

でもって、今夜のタイトルにした「Hのうまい女に」とは。
実はそれは、この番組のDVDの宣伝で、中村うさぎさんが発言していたもの。
(角田さんとは関係ありません。失礼しました、角田さん)

そのDVDの宣伝で、中村さんの
「Hのうまい女と言われたい」みたいな部分が紹介されていました。

「ふうん、そうなんだ」と漠然と見ていたのですが、この発言について、じっくり考えてみると、「そうなのか?」という疑問も湧いて来ました。

「もてたい」とか「美人と言われたい」とかはともかく、「Hの上手い女と言われたい」ってのは、どうなの?
というのはさ、「Hが上手い」と言われることは、本人がHを楽しめるかどうかとは関係ないよね。実際は、楽しくなくても、ひとから(男性から)「うまいと言われたい」ってことはさ、自分の感覚より、相手の感覚を大切にするってことですよね。

一見、ふしだらな発言のように見えて、実は、とてもおくゆかしいセリフなのではないかしら。自分が「感じたい」のではなく、「上手いと言われたい」ですよ。

もちろん、ひとに喜んでもらうことが幸せ、って感覚はあると思うし、そんなにはずれたことではないけど。なんか、ちょっとひっかかったのでした。

というか、結局、Hというものも、相手を喜ばせているという感覚が、ますます自分も喜ばす、という構造なのかもしれませんね。
と、書いてみるとわりとありきたりな結論にたどり着いてしまった。

ちっ。
疲れているからかしら。

さあ、まだまだミラクル労働の日々は続きます。
1日くらい休みたいぞ。

休める日はいつか。
しかし、
今あるお仕事に感謝して、いこう。

先は長い。