山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

深夜に小躍り

調子づいております。
ええ、すみません。次々と送られて来る「すべては海になる」の感想がですね、たいへん好意的でですね、ほんと、嬉しくて嬉しくて、毎日、小躍りしながら暮らしています。

今夜のはちょっと長いです。
書いて下さったのは某国立大学の文学部の助教授です。エリート中のエリートとしての経歴をもち、(最初は科学者であった)現在は、外国文学の研究者であります。「論理的である」とはどういうことかを、私はこのかたを通じて学びました。友人であっても、容赦しないので、この方からほめられると、自信がつきます。小説のなかでいろんな小説を引用したのですが、彼には全部バレてしまうのはさすが、でした。

おう、前置きが長くなりました。ここからです。

<感想ファイル 3 メールにて拝受>

小説読ませていただきました。

うまいもんだなあと、まず思いましたね。もう(当たり前だけど)、すっかりプロフェッショナルの域ですね。いつも思っているようなことが、ちゃんとしたストーリーになっているところが、えらい(なんてのじゃ褒めてることになりませんね)。この前いくつか気がついたような、細かい語句の点でも、今回はひとつもありませんでした。

月曜に受け取って火曜日に一瞬にして読みました(本一冊一日で読むの何年ぶりだろう)。
あえて言えば、ほんとに些細なことですが、ああいうシチュエイションで高校生に名刺渡すだろうか、携帯電話の番号書きそえるだろうか、などと思いはいたしました。あ、あと、高校生にしてはずいぶん大人びているなとも思いましたが、ま、これは多分しょうがないことですよね。
で、いやあ面白かったです、って感想をすぐに送ろうと思ったんですが、それじゃあんまり芸がないし(芸なんてなくてもいいんですけど)、二三日したらどう思うだろうかちょっと待ってみました。

ま、基本的には変わらないんですけど、なんと言いますか、高校生のイノセンスが絶対善として扱われているような気がしてきました。こっちの世界はいろいろあって大変だと、作者はわかってる。あっちの世界について、しかし作者は何を知っているのだろうか、と。

作者が言語的にそっちの世界を肯定しちゃうってのはもちろん山田さんの敢えてするところではないのでしょうし、それは当然なのだと思いますけれど、なんと言うのかなあ、そっちの世界が、(う。前のにも同じようなこと書きました。つくづく同じことばかりしか考えられないのだなあ)ある程度相対化されているように見えた方が、奥が深いような印象を与えたのではないかと思います。

あるいは、こっちの世界とそっちの世界がもっと平等に扱われていた方がよかった、と言うべきか。などと書きはしても、じゃあ具体的にどうすればよいのだということになると、I5からないんですけれど。

しかしこの点に関しては(十分予想される)反論をお待ちします。

私の好みとしては、小説内小説(?)がもっと外の部分と密接に関係づけられていた方が好きです。枠にかこまれたところを読むのって、外のことを忘れちゃいけないのだから、負荷が大きいですよね。その負荷に値するくらいには、ということです。もっとも、小説家本人が登場することで報われているとは言えますけれど(うまいよなあ)。

きっと前のより多くの読者を獲得するのではないかと思いますが、今のところはいかがでしょう?

××も、いいですね。しかし、今の人は全然読んでる気配もないわけだから、今の日本での作家の寿命は、たかだか30年くらいということなのかも知れません。

全然関係ないですが、日本で××をちゃんと研究してる人、一人か二人じゃないかと思います。訴えられたりして。

(大学助教授/40歳/男性)