山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

05年、ベストセラー作家に近付けたか?

あら、今日で05年も終わりですねー、なんと月日のたつのは早いことよ。なわけで、今年の復習をしてみようっと。総括、と呼んでもいいかなー。(一応さあ、ベストセラー作家への道という視点から、見てみよう)

1月 2作目にあたる小説の構想を決める。この時点ではとってもタイ
   ムリーな企画と思い込む。
   資料読みと取材が始まる。このやり方はテレビ番組を作るのと
   基本的に同じ。
   テーマが決まったら、なるべく多くの資料にあたり、あとテーマ
   に則したひとに会って話をききます。

2月 書く、ひたすら書いた。
   が、最初は主人公を男にしていたので、途中でいきづまる。
   どうにも、こうにも苦しい。これが書きたいことだっけ?
   という気分になり、今さら引き返すのは効率悪いなーと
   思いつつも、全部捨てる。で、女性を主人公にして、一から書く。
   するとすらすら進み、月末に初稿があがる。
   250枚くらいだったか。

3月 テレビのお仕事をする。
   小説は、初稿のまま、少し寝かせておく。
   ワインだって熟成させてこそ、よい味になるし。
   NHKbs-2の「迷宮美術館」を1本。この番組は、勉強になるし、
   画家の生活に触れることができるので大好き。
   このときはマリーアントワネットの専属画家ルブラン。

4月 初稿をなおして、編集のお大臣さまにおあずけして、
   拝読いただいている間に、イタリアへ。
   これも映像のお仕事。ゆるいスケジュールだったので、
   ミラノで買い物三昧。今、思うとゴージャスなことよ。
   この頃、韓国で「ベイビーシャワー」発売となる。

5月 小説の結果を待ちながら、テレビの別のお仕事にかかろうと
   した矢先、父親が倒れる。急きょ、仕事をおりる。
   その一週間後、目を覚まさないまま、父は他界した。
   葬儀とそれに続くあれこれで結構忙しく、一か月が過ぎる。

6月 6月の雨に打たれながら、小説を直す。
   いじりすぎて何をやってんだかわからなくなるが、
   とにかく、書く。一旦、完成。
   同時に、韓国における日本文学事情を調べ、
   テレビ用の企画書をつくる。

7月 マフィアの抗争(というのはオーバーね)みたいな感じの事件に
   遭遇。

   精神が壊れかける。
   が、本を出版することに命をかけることにして、
   夜道に注意しつつも、生き抜く。
   同時に、韓国企画をいくつかのテレビ局に売りに行く。

8月 とりあえず、マフィアの抗争は一旦、終結する。
   マフィアの抗争により、運命の手応えが
   変わったような気がする。
   血は無駄に流れていない。
   韓国企画、フジテレビ「NONFIX」での放送が決まる。
   本はなかなか、先が見えない。

9月 韓国に行く。(ロケハン)
   この時、韓国に行けたことはたぶん、最高にハッピーだった。
   知識旅行社(韓国でベイビーを出してくれた出版社)の
   ユンさん、ブックコスモスのキムさん、彼らと出会え、
   多大な勇気を頂く。
   その縁を持ってきたのも「ベイビー」だ。
   出版を諦めないことにする。

10月 韓国ロケ。
    20年のテレビディレクター生活のなかでも、
    1、2の充実したロケだった。
    「すべては海なる」、11月末発売が決まる。
    韓国からもどってすぐ、NHKの「迷宮美術館」を1本。
    今度はゴッホを世にだしたヨハンナという女性の物語。
    これも面白かったなー。

11月  NONFIX仕上げ。
     久しぶりに、ひとりで編集室にこもり、はまった。
     楽しかった。
     月末、「すべては海になる」発売。
     あまりに忙しくて、本が出ることを喜んでいる暇が
     なかった。

12月  NONFIX、オンエア。
     「新文化」という業界新聞にとりあげて頂く。
     同じ頃、日経新聞に「海」の書評も載る。
     今月は、次の小説、ゲームのシナリオ、映画の構想などで
     すぎていく。

振り返ってみると、特になんの戦術もないな。
ベストセラーを目指しているっていうと、ほんとはそういうわけでもないんだけと。それに、資質として、自分の世界、マス向きじゃないし。テレビでも、民放よりはNHKのBS、ゴールデンよりは、深夜放送向きだもんね。これって、小説も同じなのではないかと今さら、気づく。だからってどうしよう。とへらへらしているうちにあと2時間で、イヌ年の幕開けだ。