山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

避妊法、インディアン、つながりの妙

一昨日に書いた、「アンジェラの灰」(フランク・マコート著)の下巻を読んだので、その報告。

上巻までは、延々貧乏な子ども時代の話が続くので、面白いとは思いつつ、いつまで続くの~という気分にはなっていた。ところが、下巻に入ると多少事態は変わって来る。子どもらしい、事実をストレートに受け止める視線はそのままに、主人公を取り巻く事態が変わる。

飲んだくれで働かない父親は、仕事を探すといってイギリスだか、ダブリンだかに行ったきり、戻って来ない。いよいよ貧しくなった一家は、カトリック教会からの施しだけでは生活できず、母親は、ある中年男性の家政婦の仕事を始め、その男の家で、子ども三人を連れて同居する。

信心深く、地獄に落ちることを一番恐れている、働きものの母親であるけれど、ある夜から、その中年男性とその家の2階で同衾するようになる。息子である11歳くらいの主人公は、時々母親が2階に上がって、「興奮」することを淡々と書き留める。息子は、母親を責めもしないし、嘆きもせず、単にあることとして受け入れるだけだ。

主人公が14歳になると事態は変わる。それまでは子どもだったのだが、働きにでることができるからだ。この一家にとって一番の問題はお金が全くないことだったから、一人でも働き、現金収入が増えれれば、当面の悩みは解決されてしまうのだ。とことん、『貧しさ」こそがすべての不幸であり、満足にご飯が(パンが)食べられればそれで幸せなわけだ。

後半はやはり面白かった。それとあらためて知ったこともあった。少年は、新聞配達や雑誌の納品の仕事をしているのだが、ある日、雇い主から納品したばかりのイギリスの雑誌からあるページを破って捨ててこいと命令される。決して、読んではいけない記事が載っていたから、というのがその理由。少年はその記事を破るために、街中を走る。

その記事とは、避妊法である。ようするに、1930年頃のアイルランドの特にカトリック教徒にとっては、避妊は重大な罪なんだ。それを考えるだけでもキリストへの裏切りと考えられていたわけだ。一方で、その破棄された記事は多くの人がこっそりほしがるのだ。避妊できたら、自分達の暮らしがどんなに楽になるか、実体験として知っていたということになる。

それから、もう一つの発見は、最近、はまっている桐野夏生さんの最初の小説「顔に降りかかる雨」について。このタイトルって、インディアンの名前だったのね。「アンジェラの灰」のなかで、インディアンの名前に関するくだりがあって、出てきたのだ。「ダンスウイズウルブス」みたいなこと。有名な事実かもしれないし、全く関係ないのかもしれないけど、なんだか得した感じ。

今日は、その桐野夏生さんの『柔らかい頬」を読んだ。すごい小説だった。ちょっと脱力気味。

いろいろやるべきことがあるんだけど、しかも、明日にはいよいよ正月が完全に開けてしまうのだけど、体調がイマイチで覇気がない。元気になりたいなあ。