山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

結婚の意味というか無意味

フランスで出生率が上がっている、という記事を読んだ。

先進国はどこもそうだけど、子どもの数が減っている。ところが、ここ数年、フランスではその数が戻ってきた、という内容だった。そして、その記事の最後に書いてあったこと。フランスで生まれる子どもの48%が、婚外子だと。つまり、結婚していない男女の間に産まれる子が半分近いってことです。

日本では、できちゃった結婚が、結婚の四分の一をしめている。これってようするに、「出来た」から結婚するわけでしょ。日本って、結婚していないで子どもを産むのは、ものすご~くリスキーだからね。

でもさ、結婚しないでも子ども生んで平気なフランスでは、子どもの数が増えているわけだ。これから考察するにさー、ほんと、「結婚してます」ってことが、どんどん意味をなさなくなっているというわけだよね。

昨晩も親しい仲間とと飲んでいると、「子どもいなかったら、絶対離婚してる」というひとが結構いた。
つくづく思うのは、結婚という制度がもう、金属疲労を起こしていて、今の私たちの暮らし方にマッチしていないのだよね。だけど、国や世間は結婚という制度を信じて、いろんな法律とか作ってる。

なんだかなー。
「結婚してる」ってことがなんらかの縛りになる、と考えるのは、かえって、ひとの気持ちを追い込むと思う。たぶん、もっと昔なら、「結婚している」男に手を出すのは玄人さんだけだった。結婚している男も素人にはなかなか手をださなかった。女もしかり。でも、そういう事情は変わってしまったのに、気分としては、結婚しとけば、相手をしばっておける、と錯覚してしまうことではないかしら。
とっくに、結婚にまつわる倫理観は喪失しているのに、自分だけ特別の結婚ができると思うところから不幸が始まるように思う。

かつて結婚に意味があったのは、「結婚」することによって、自分も変わるけど、なにより、世間の扱いが変わったんだ。でも、今はそんなことない。(法的には別にして)実生活で結婚制度が崩壊しているのだから、ほんとは制度そのものもなくせばいいのだけど、そう簡単にはいかないんだよね。

ようするに「本妻」であることでごはんを食べている、奥様がいるが限り、また、その制度を支えている、都合のよい男たち、愛人の方々がいる限り、当分続くことでしょう。 ま、いいか。自分には関係ないし。

そんなわけで、せっかく、昼夜逆転が直るはずだったのに、今日も目が覚めたら、午後6時だった。
なおらんよー。