山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ヴァレンタイン、近し、騒がし。

ぼんやりしていたら、1月が終わってしまった。
あと一月我慢すれば、暦の上での春がやってくる。
いやあ、今年の冬はキツかった。寒かった。それも、もうすぐ終わるんだ、と思えば、なんとか辛抱できるかな。

2月になると、新聞の折り込み広告やネット上でも、やたらチョコレートの宣伝を見かけるようになる。それを見て、気づくわけだな。そうか、ヴァレンタインか。

橋本治の「市場原理は嘘かもしれない」にもあったけど、ヴァレンタインに女→男へ、チョコレートをプレゼントするっていうのは、なんの根拠(歴史的、宗教的、慣習的などなどいずれも)ないのだけど、あるとしたらそれは、一点「市場原理」でした。

「好きな男にチョコレートをプレゼントする」というテーマを提示したことで、チョコレート市場が活性化する。さらに、「好きとかじゃなくても、お世話になっている男にもチョコレートをプレゼントする」とテーマを広げ、さらに、活性化、というわけだよねえ。

広告でチョコレートを見るたびに、なぜ女→男という形にしちゃったのさ、と思うわけです。
これが逆でさ、男→女だったら、長い人生、チョコレートにありつけるチャンスもあったかもしれないのにさー。(チョコレート好きだからさ)だって、市場原理からしたら、どっちでもいいわけでしょー。

けど、きっとそうじゃないんだろうなー。
女→男にチョコレート&告白、というセットの物語が、なぜか人心をとらえたのよね。だからこそ、ヒットし、長続きし、拡大していったわけだ。

このように、なにが当たるかはわからんよなー。
とことん調査すれば、「ヒットの理由」はあとから、納得できる程度には論じることはできそうだけど、それを応用して、ヒットが生まれるかどうかは、ほとんど別のお話だからね。

そんなことをぐだぐた考えていた。ふむ。