山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

希望とか祈りとか

ビデオで、「インザプール」「パッチギ」を見る。
見た順で、「インザプール」から。松尾スズキさんのファンなので、拝見。そしたら、オダギリジョーさんも出ていて、なかなか楽しめた。

その後、「パッチギ」を見る。ほんとは映画館で見たかったけど、チャンスがなくて、ビデオっていうかDVDで見ることになった。けど、家で見てよかったかも。なぜなら、とてもとても泣いてしまったので、映画館だったら恥しいじゃないか。

いやあ、なんか久しぶりに映画らしい映画を見た気がする。構成もよくできているし、音楽の入りどころなども職人技ぽくてよかったけど、やっぱり、こういう映画は映画として撮られるべきって強く思ってしまった。井筒監督ってすごいなー。

去年、韓国で番組を作るにあたって、20世紀の韓国の歴史を、初めて勉強した。それまで、ほとんどおぼろげにしか知らなかった。その時、一番感じたのは、37年間、日本の植民地だったということの意味。その期間、韓国語は禁止されて、日本語を使うことが強制された。それって、文学にとっては、「死」を意味する。だって、言葉がないんだもの。

その後遺症を韓国はその後、ひきずることになるんだし、そういう過去をきっちり知っておかないといけないと思った。そして、在日朝鮮人、韓国人に対する差別とか。

韓国で知り合ったひとは、日本でのいじめがいやで、韓国に戻ったっていってた。まだ、若い女性だ。今だ、歴然とある、そういうテーマをきっちり、表舞台で、でも、作品として面白く描く必要があるよね。

なんか、とても情緒的なことしか、書けないけど、「パッチギ」を見ながら、韓国であったおばあさんのことととか、すごく親切にしてくれた取材相手のひととかのことをとめどなく思い出しちゃって、
泣けてしかたなかった。

「パッチギ」で「イムジン河」がラジオで流れるシーンに、希望とか祈りを感じた。「イムジン河」という曲が希望だし、祈りであるのと同じように、「パッチギ」も祈りのような映画だと思った。

ひとの「善」なる面を信じたいよね。