山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ドミノとスープ

DVDで、「ドミノ」と「ある朝、スープは」を見る。

ある意味で、どこをとっても正反対の作品だ。

「ドミノ」が、過剰な演出のこめられた細かいカット割りの連続なら、「スープ」は、もどかしいくらい情報量の少ない映像で、ワンシーンワンカットではないが、基本的にカット数は少ない。

どちらも2時間弱くらいの作品だけど、カット数を比べたら、10倍くらい差があるかもしれない。

描かれる人物も「ドミノ」が、FBIやらマフィアやらカジノ経営者やらセレブやら、特殊なひとびとばかりなことに対して、「スープ」ほとんど男女ふたりしかでてこないし、このふたりもどこにでもいそうな普通のカップルだったりする。

ここでびっくりするのが、大活劇である「ドミノ」が実話に基づいたものであり、リアリティ満載の「スープ」がフィクションであることだ。ふうむ。

しかし、どちらにも共通するのは、主人公が今の社会に満足できない、していないってことかな。
「ドミノ」の主人公は、有名な俳優とスーパーモデルの間にできた、美貌の女性だけど、その世界に満足できなくて、危険をはらんだ、賞金稼ぎという職業を選択する。

一方、「スープ」の主人公は、ごく平凡なサラリーマン。やはり、社会とうまく折り合いをつけることができずに、パニック障害にかかり、あげく、新興宗教にはまっていく。

今の社会に居場所(手あかのついた言葉だけどさ)を見つけられない場合の、選択のバリエーションかな。けど、命を危険にさらす賞金稼ぎも、新興宗教にはまってしまうのも、よおおくみていくと似ているかも。う~む。

「生きにくさ」はアメリカも日本も同じか。
けど、どっちかといわれれば、「ドミノ」みたいに、自分の身を危険にさらしても、突き進んでいく感じのが好きだな。宗教って他力本願だし。いや、いいけど。どちらの場合も男女の愛情が救いになっていないのは好き。(だって、真実だし)

ちょっとそこらの薬物専門の精神科に行ってみるとわかる。愛情は無力、もしくは、かえって病気をすすませるってことが。愛情という名の甘ったるいおせっかいが嫌いなんだなあ、しみじみ。