山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

恋愛の手触りと温度。

低気圧のせいか、体中の血液が下がってしまっている感じで朝からずっと調子が悪い。
朝ご飯のあと、もう一度寝たのに、ぐったりしている。こんな日は野生動物のように、自分の巣穴から出ないで、静かにしていよう。

ヤンソギル「終わりなき始まり」、小手鞠るい「エンキョリレンアイ」を読む。
どっちも「恋愛小説」かもしれないけど、これほど差のある「恋愛」も珍しい。

「終わりなき~」は内臓をこすりあわせるような、お互い清濁併せのむような感じで、命ギリギリで進む恋愛だ。欲望と憎しみをとことんまでぶつけあった二人がたどり着くのは別れしかない。例え思いが残っていても、終わりをとめることはできない。そういう種類の恋愛だ。

自分も恋愛といえばこういう状態を指すのだと思っているし、実際、これまでの人生でそうだったので、違和感なく読む。そして、圧倒された。

この小説のモデルになったといわれる李良枝さんの小説をさっそく注文する。なんだかなあ。すごいな、ヤンさんって方は。もっと早く読んでおけばよかった。

一方の「エンキョリレンアイ」は、本屋で出会い、数分を過ごし、その後電話で話し、その後、空港で15分くらい話しただけで、「愛し合う」男女の物語である。ひとは自由だし、いろんな生き方、考え方があるので、それぞれだと思うけど、自分の感覚ではこういうのは恋愛という範疇には入らないなあと思った。

これだけの時間の共有で愛を実感できるとすれば、ずいぶん幸福なことだ。きっとそういうひともたちもいて、そういうひとたちなりの恋愛もあるのだろう。

ひとがひとを好きだと思う瞬間はいろいろあると思うけど、ひと目あっただけで、どれほど相手のことがわかるのだろうか。男性がきれいな女性を見て、「いいな」と思うのはわかるけど、それって別の気持ちが内包されていると思うし、ひと目で相手をわかるほど、少なくとも自分はひとを見る目はない。

人に対する愛情とは、ある程度の時間を過ごし、話をし、行動をともにした結果生まれてくるものだと思う。ひと目みて「いいな」と思う相手はたくさんいるけど、仕事などを通して相手がわかってくるとその気持ちがしぼむことのほうが多い。恋愛が起こるのは、最初はなんとも思っていなかったひととある程度時間を過ごした後、その人の気づかなかったよい面(あるいは弱い面)を見たときに、ときめいたりするんだよなあ。

いまさら、恋愛ってなにかしら、などと考えてしまった。

相変わらず、体調悪くてぐったりしているけど、これからカン・サンジュンさんの「在日」を読みます。

自分は、なんでもハードなものが好きなんだよなあ。