山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

「もてなくていい」その後。

昨日の続き。
「もてたくない」女子(30代)について。

昨日は、偶然にも拙著映画化の打ち合わせでした。たいへん、知的で文学、哲学に造詣の深いプロデューサーさんと、脚本づくりをしていました。小説とは、意識の流れを書くモノ(BYヘンリー・ジェイムズ)ですから、それを映像化するにはいろいろなテクニックがいるんですね。わかりやすい手段では、意識の流れをモノローグにするという方法ですが、(つまり、語らせてしまう)やはり、映画は映像=つまりひとびとの行動によって描かないとダメなわけです。

もともとテレビ出身の私は、映像では表現できないものをやりたくて、小説を書いております。セリフや行動より、主人公の気持ちを中心に書いている。もちろん、それが好きでね。じゃあ、なんで映画化なんかするんだよ!と言われてしまえば、とほほ、なんですが、映画もこよなく好きなので、ついつい。

そんなわけで、自分が小説で書きたかったことを、今度は映像に語らせるための翻訳作業をするわけですね。その際には、いろんなことを話しあいます。主人公は何を欲しているのか、どうしたいのか・・などなど。そういうわけですから、映画や小説とは直接関係のない話もたくさんします。昨日は合計5時間ほど会議してました。(今、数えてびっくりしたけど、よくあることですね)

けど、この会議ってやつが結構楽しいんですよね。別に映画じゃなくても、テレビ番組作るときも、会議と称して、いろんなこと話します。ひとつ番組つくると、お互いの恋愛遍歴や人生観がバレバレになるのはよくあることだし、そうやって話しあうことで、作品が膨らんでいくんですよね。

で、前置きが長くなったけど、この会議で、例の「もうもてたくない女子」のことを話したんです。すでにそういう女性が出現しているんですよーって感じで。すると、そのP、「じゃ、すごくかっこいい男に誘われても断るのかなあ」と疑問を呈しておりました。それについては、本人じゃないから、答えられなかったけど、今、その質問を繰り返してみて、答えはきっと「相手を気に入ればつきあったりもする」ってことだと思うんですよね。
要するに、「もてたくない」というのは、「もてる」ためにあれこれするのが面倒だってことではないか。「もてる」ことに執着があれば、「もてる」アイテムの収集に力とお金を注ぐでしょうけど、あえてそれはしない。好きにやってて、結果、恋愛が育ったらそれでいいってことではないかと。

合コンに通うとか、無理なダイエットや整形とか、服とかレストラン選びとか、そういうもんに労力を注がない・・というだけかもしれません。確かに、そういう異性の目を意識せずに、気の向くままに生きているひとからみたら、「もてる」ためにアレコレしているひとは、ご苦労なことよ、と思えるのでしょう。

というわけで、2日間かけて、「もてなくていい」とはなにかについて、考察いたしました。ちなみにその女子は、カトリック系の女子大出身で、当時はチアリーダーだったという経歴ですよ。人生って面白いでしょー。