山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ワーキング・プア 働いても貧乏

数日前、NHKスペシャルで、「ワーキング・プア~働いても働いても豊かになれない」という番組をやっていた。ワーキング・プアとは、働いているのに、重労働・低賃金なため、貧乏から抜け出せない状態をさすらしく、そのようなひとが、若者から地方の老人まで広がっている・・とのことだった。

ぼんやりみていたけど、だんだん不安になってくる。実際、私はワーキング・プアではないけど、すぐにでもそうなり、抜け出せなくなるのではないか・・と不安になるわけである。番組の主旨はひとびとを不安に駆り立てるのが目的ではないだろうが、どうしても、受け取る側はそういう気分になるわけである。そういう「あおられた不安」があると、番組を最後まで見るからね。もちろん、私自身もテレビ番組をたくさんつくってきたので、不安をあおって視聴させる制作サイドの気持ちも方法もよくわかる。

しかし、じっくり見ていくと、「ワーキング・プアは大変だ!」というあおりにはまらなくていいことがわかってしまう。よおく見るとわかるけど、ワーキング・プアはたいへん!のあおりには落とし穴がある。それは、貧乏の基準を年収で表しているからだ。つまり、「数字」

秋田地方の大家族(10人くらいの四世代同居)の年収は、かなり低かった。が、農業を営んでいれば、野菜や米など食費はそれほどかからないだろうし、土地代なども東京に比べるとかなり安いだろう。年収という数字では低くても、家族で協力して暮らしている分、幸福そうだったし、ようするに、人様の幸福は年収でははかれないし、そもそも、「働いても働いても豊かになれない」というテーマの設定を疑うのを忘れている。(いや、番組のテーマはそれじゃないからいいんだけどさ)

働く=豊かになる=儲かる という図式を鵜呑みにしていいのか。
また、豊かになる=儲かる=幸福 という指標はバブル崩壊とともに終わったのではないか。

70代後半で、仕立屋を営み、寝たきりの妻の介護をするひとがいた。仕事をやめて、年金暮らしか、生活保護を受けるという選択もあるようだが、「生活保護は受けたくない」という自負があるようだった。この人も貧乏かもしれないけど、満ち足りた表情をしていた。「あなたたちは、年収が低いから不幸でしょ」という決めつけから始まっているように見えたなあ。

そんなわけで、最初のうちは不安に駆られて見ていたけど、途中からは、企画会議の様子、ナレーション打ち合わせの様子が手に取るように感じられてそういう側面から見てしまった。制作サイドがひねりだした構成やナレーションを、実際映像に映ったひとびとの言葉にならない表情が裏切っていく。ワーキングプアとひとくくりにされて、「日本、どうなる?」というあおりの材料に使われても、彼らは彼らで、淡々と生活していくだろう。

マスコミの無力を感じてしまった・・。すでに、からまわりはしていることはよおくわかっていたけど。そうならないように、自分も努めたいものだ。