山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ヨン様ファンのみなさまへ。

毎日、たくさん、訪れてくださって、ありがとうございます。

私は、ヨン様ファンではありませんが、たまたま近所に店ができ、ファンの方がたくさんやってくることで、近隣のひとたちと小競り合いがあったため、なんとなく、それをテーマに日記を書いたりしているわけであります。

が、ヨン様=韓流スター=韓国の現代文化、という流れに変換されると、私自身には、とても身近で、強い関心を寄せるテーマであります。たくさんのヨン様ファンがここに来てくれているようなので、これもなにかの縁でしょう、自分なりの韓流ドラマの背景をさぐりたいと思います。少し長くなりますが、関心のあるかたはどうぞ。

昨年、拙著「ベイビーシャワー」が韓国で翻訳、発売になったことから、韓国で日本の小説はどう読まれているのだろうかと思いたち、「韓国における日本文学のあいまいな軽さ」(フジテレビ)というドキュメンタリーを作りました。今、韓国では、日本の小説がブームなんですね。それも、夏目漱石や三島由紀夫といった作家ではなく、村上春樹、江国香織、よしもとばななさんらが「三大巨匠」とよばれるほど、読まれている。その流れで、デビューわずかのわたしの小説も発売となったわけです。

けど、なんで日本文学ブームなのか?これには深い深い歴史的背景があります。ヨン様ファンのみなさまがどれくらい韓国の歴史に詳しいかわかりませんが、結局、ヒットの背景には、歴史があるんですよね。

韓国の20世紀ってほんとたいへんだった。日本による植民地支配、この時代、韓国語は禁止され、日本語を使うことが強要されたわけです。文学って言葉で書くものですから、母国語を奪われた韓国の文学者たちの悲哀は想像を絶するものがあります。1945年に戦争が終わって(日本による支配が終わって)、やっと平和がやってくるのかなーと思ったら、戦後の混乱のなか、北と南に別れていく。いわゆる朝鮮戦争です。(1950年)これによって、ご存じのように、北と南に分断されるわけですね。で、ここからの韓国(南)が平穏だったかというとそうではない。軍事政権ができて、つい最近まで続くんです。(90年代初頭まで)だから、韓国のメインの文学って、祖国や南北分断を描いた小説が中心だったんですね。

ところが、最近になると、そういう「重い文学」に若者がついてこなくなる。 祖国分断の哀しみより、自分の恋愛のほうが、大切って気分になってくるわけです。けれど、「軽い恋愛」をテーマにした小説を書ける作家は韓国では少ないわけです。なぜなら、恋愛を書いても韓国の文壇では認められないですからね。

そこで、日本の「軽い文学」=恋愛を描くものが登場するわけです。え?ヨン様と関係ないじゃん!って?

私の会った、韓国の文壇の重鎮は、こんなことをおっしゃってました。「韓国の作家は、恋愛を自由に描けるほど、実生活で恋愛をしていないんです。政治のことを考えるのに真剣だったから。しかしこれからは、恋愛を自由に描ける若い作家がでてくることでしょう」

韓国では、日本ほど、恋愛事情が乱れていないんですね。日本の戦後みたいに。素朴なひとが多い。まだ、恋愛の可能性を信じている。そういう方たちの恋愛を描いたのが、韓流ドラマだと思います。だから、日本の年配の方たちが郷愁にも近い気持ちで、引き寄せられていくのではないでしょうか。だって、韓流ドラマに描かれるような清潔な男は、もう、日本では絶滅したからです。(これは実体験で確信しますね)

韓国に行くと、日本が失ったものをつくづく感じます。自分をふくめて、日本はすれっからしになっている。それも世界に名だたるすれっからし。自分はその「すれっからし」の部分を小説に書いていますけど、(それが翻訳されたのは、韓国も将来そうなるから・・というのが、韓国の出版社の方の意見でした)それでいいと思っているわけではない。しかし、あと戻りはできないから、どうしてこうなってしまったのかなーという気持ちで書いているわけです。

長くなりました。今度の騒動(でもないでしょうが)をきっかけに考えたことをまとめてみました。なにかが伝わるとよいのですが・・。

長くなりました。今度の騒動(でもないか)で、感じたことをまとめてみました。なにかが伝わるとよいのですが・・。