山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

経過良好(犬バカと呼ばれても)



写真は入院中のミニ。いつもより、ぼんやりした顔していると思うのは、私は犬バカだから?

昨晩はかなり早い時間に眠った。金曜の夜、ミニが心配で、ほとんど眠れなかったため、たいへん疲れていた。とりあえず、手術は順調に終わり、経過もよいとわかり、安心したらどっと疲れが出た。

あけて、日曜日、午後の面会に出かける。かなりに近くに行かないと、私に気づかない。痛み止めのクスリのせいか、ぼんやりしている。それでも身体のあちこちの匂いをかがせたり、出かける前に、母犬であるカナに鼻をすりつけてもらって、カナの匂いをTシャツにつけてきたせいか、近づくと世にも悲しい鳴き声を出す。ク~ンってやつ。

こちらも、ほろりときそうになるが、それでは犬も動揺するだろうし、大人としてどうなのかという部分もあり、こらえる。しばらくの間ミニは興奮しているので、収まるまで、そっとなで続ける。これまでは面会といっても、会って数分で出てきて、あとは獣医師から経過の説明を聞く・・という流れであったが、今日は、いわゆる面会だ。ゆっくりミニとの時間を過ごしたい。

そこで、担当医に、しばらくいさせてほしいとお願いする。医師は笑顔ですんなり了解してくれる。週末からの一連の騒動のなかで、私が過剰に犬に執着しているのを充分知っているようだ。(つまり、犬バカであることはばれている)しかし、たぶん、私レベルの犬バカはたくさんいるのだろう。それほど、驚かれない。

で、犬や猫たちが並んで入っている檻の近くの廊下みたいな場所にミニと一緒にどかっと座る。リノリウムの床の上には、カットした絨毯めいた敷物と、ミニ用の布団があり、その上に、脚を投げ出してすわる。ひきでみたら、かなり奇妙な光景だろう。これが外なら、あきらかに、浮浪者と犬って感じだと思う。

まあ、そんなことは気にしないので、しばらくミニのとなりにいる。ミニもだんだん落ち着いてきて、呼吸が穏やかになってくる。別に話すこともないので(というか、犬だからねー)ひたすら一緒にいるだけ。でも、ミニが落ち着くのと同じように私も落ち着いてくる。この呼吸の穏やかな感じ(一緒にいるだけで幸せ)を愛情とよばずして、ほかのなにを愛と呼ぶのか。



という話はともかく、落ち着くと、入院室の他の患者たちの様子や、そこで働く獣医さんや看護士さんたちの会話も耳に入ってくる。

脚が片方しかない猫や、背中に大きな手術跡のある犬たちが、いずれもひとりぼっちでいる。(はいはい、当たり前です)。スタッフは女性が多く、明るく楽しげである。なかのひとりが、「時効警察の本、やっと届いたのに、読む暇がなくって」と言っているのを耳にする。「え?時効警察?」それは私も書いていたんですよ。親しいひとたちが作ってるんですよ、なんて言いたくなる。でも言わない。聞き間違えかもしれないし、ミニの側を離れたくなかったし。

でも、ミニはいつもよりぐったりしてて(当たり前だけど)それが寂しい。顔を見ると目が充血しているし、表情にこれまでなかった、哀しみというか苦労というか、そういったものがはりついてまった気がする。(バカを承知でいっている)これまで何の苦労も知らなかった明るく朗らかなお嬢さんが大きな事件に巻き込まれ、生きる哀しみを知ってしまった感じ。いえ、これがヒトであったなら、いろんな経験を積んだほうが、魅力的になると思うけど、犬はどうなのだろう。親ばかですが、ミニには、できれば天真爛漫のままでいてほしかったなー。

そんな、ひとさまが聞いたら「アホか」と思われることをつらつら考えながら、30分ほど過ごす。いつか「いい加減帰ってください」と言われるのではないかと思っていたが、催促はされなかった。そっか、いていいのか。(ほっておくと、明日は、折りたたみの椅子だの、パソコンだのを持ち込むぞ。)帰りに担当医と経過について話す。とりあえず順調でご飯も食べているし、みんなになついているのでかわいがられているそうだ。よかった、よかった。でも、まだ入院は続く。明日また来ることを約束し、病院をあとにしたのであった。

犬バカ全開の私。