山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

言葉のちから。



シンクロ親子。やつらは、気づくと同じポーズをとっていることが多い。誰に命令されたわけじゃなく。不思議ねえ。

なんとなく、最近、ぼんやり気づいたことなど。少し前だけど、細木数子さんの番組を見た。ゲストが山村美沙さんの娘、山村紅葉さんだったので、ちょっと興味があって。山村美沙さんはいわずと知れたミステリー作家だけど、その私生活もミステリーに満ちていると言われていて、だから、娘さんはどんなことを話すのかなと思いまして。

でまあ、番組の通例に従って、ゲストの生い立ちから現在までが紹介され、それについて、細木さんがいろいろ言うという構成だった。紅葉さんには、バラエティ慣れてない様子と、なにを言われるのかしら、という緊張感が走ってた。で、話の中盤、細木さんが、紅葉さんに向かって「あなたは結局、なにももっていないでしょ。今のあなたがあるのは全部お母さんのおかげでしょ」(という内容で原文ではありません)と言い放った。紅葉さん、しばらく言葉を失っていた。ホントにショックだったんだと思う。とても演技のようには思えなかった。

それで、なにが言いたいかっていうと、そうか、細木数子さんというひとの人気はこれなのか、とやっとわかった。(たぶん、遅いんでしょうけど)。四柱推命学とか占いとかは、だって、このセリフに関係ないもんね。

それはつまり、「誰もがそうかもね、と思っていることを、はっきり言葉にして、口に出す」という役割なんだ。紅葉さんという女優さんをよく知らないけれど、経歴を見れば、確かに親の七光りって部分も多いのだろう。けれど、そう感じたとしても、普通、ひとはそんなことを言わないし、言えない。

そういう「誰もが感じているけど、誰も言わないこと」を言葉にしてくれるすっきり感が期待されているのだなとわかった。もっとこう、占い的な部分が多いのかと思っていたけど、そういうことではないのよね。裸の王様を指さした子供のようなものかしら。

しかし、一方で、誰もがそう感じているけど、誰も言わない、あるいは、言えないことをあえて言葉にするとはなんだろうとも思った。普通、言葉にされないのは、そこにどうしても、中傷や嫉妬、おとしめてしまう可能性が混じっているからではないか。つまり、必ずしも、真実ってわけではなく、割と感情的なもののように思う。

このような負の感情が交じったものを言葉にするってことは、危険なことだ。私は言葉の力を信じているので、(言霊ね)、言葉にした途端に、それまでなかったものが存在してしまうから。それがとても怖い。言葉になった途端、現実が出現するから。

その怖さを端的に表しているのが、「デスノート」ではないかしら。誰かに死んでほしいと、ノートに書き付けること(言葉にすること)で、それが現実化する。まさに、言葉のもつ、負の力に則った物語である。

以上、漠然と考えてたことでした。