山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

犬とヒトの死後の世界



犬と海に行きたいな~という思いをこめて、昔の写真@材木座海岸。
やつら、ここのところ、全然泳いでない。かわいそー。わたしも。

昨日、ポール・オースター著「テインブクトゥ」を読んだ。タイトルの「ティンブクトウ」とは、死んだ犬と飼い主が一緒に行く天国みたいな場所らしい。主人公は、ミスターボーンなる老犬。飼い主が死んでしまい、新しい飼い主の間をてんてんとするが、結局、最初の飼い主のいる場所目指して、走り出す・・というストーリーだ。

ううう。私は犬が好きだ。異常に好きだ。とても好きだ。だので、こういう本を読んでいると、悲しくて仕方なく、今にでも、自分と自分の犬が離ればなれになってしまうような気がして、読書の間、しょっちゅう、犬たちを呼び出し、抱きしめたり、触ったりした。犬にとっては迷惑な、あるいは、喜ばしい話だったと思う。

結末を言ってしまうと、ミスターボーンは、最初の飼い主に会うために、自殺するんだ。死ねば、ティンブクトウで会えるって知ってるから。う~ん、う~ん。とても悲しい話だけど、犬はほんとは自殺しないよね。自殺しないところが、犬のいいところのように思うけど。でも、違うかな。

知り合いのおばあさんで2頭飼っていたひとがいて、おばあさんが末期ガンとわかり、入院した後、一頭は、急に病気になって死に、もう一頭は、車にひかれて死んだ・・という。その後、おばあさんも亡くなった。これなども、飼い主の死期を知っていたということになるだろうか。説明しようと思えば、「飼い主と離れたので、病気が悪化した」「飼い主と離れたので、誤って、車にひかれた」などと言えるかもしれない。

だけど。だけど。
私も死んだら、うちの犬と一緒に、ティンブクトウに行くんだ。あ、でも、前に飼っていた雑種の犬も先にいってるな。まあ、大丈夫だろう、今の犬とも仲良くやれるだろう。そう思うと死ぬのも悪くないな。そこなら、リードなしで、思い切り犬を走らせることもできるだろうし。・・・なんてね?