山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

男はみんな痴漢である?

「Shall we ダンス?」の周防正行監督の最新作「それでもボクはやってない」の試写会に行きました。
ほんとは、書き物ギリギリだったけど、見たかったから。帰りには、「フラガール」も見た。

「それでもボクはやってない」から。
これは、痴漢と間違えられて逮捕された青年(フリーター・26歳・加瀬亮)が、無実を主張して裁判にのぞみ、判決が下るまでの物語である。さすが10年ぶりの新作とあって、よく練り込まれた脚本と、行き届いた取材で、裁判のことがよくわかるようにつくってあるし、一方で二時間以上の上映時間にもかかわらず、片時も飽きさせない完成度の高い仕上がりでした。よくできてるなあって感じ。

裁判するってことが、真実の究明にはならない・・ということが、よおくわかりました。無罪を主張する被疑者の弁護をするのが、女性の弁護士(瀬戸朝香)というのも、うまいなと思った。なぜなら、やはり、女性は、痴漢について厳しいから、痴漢かもしれないひとを弁護するのに躊躇する気持ちはよくわかった。

「男はみんな犯人です」だったか、記憶がおぼろですが、「そうなんだよ!」とうなづくセリフがありました。瀬戸朝香さん演じる弁護士のセリフ。

あっさり認めて、罰金を支払えばすぐ解放されるのに、無実を訴えることで、時間もお金も体力も使いはたすことになる。こんな裁判制度はおかしい・・という気持ちはもちろんある。やってないと主張するより、認めた方が楽・・なんていうのはよくないと思う。思うけど、ちょっと立ち止まってしまう気持ちがある。

私は中学・高校の6年間、毎日、日本で一番混むと言われた電車に乗って通学してた。しかも、目立つセーラー服姿で。痴漢はほとんど日常であった。特に、中学時代が激しく、大人になるにつれ、減少した。要するに大人しくて幼いほうが、被害に遭いやすいんだよね。今でこそ、セクハラという言葉もあるし、痴漢は犯罪として扱われているけど、当時は、誰も助けてくれなかったし、駅員に訴えてもほとんど相手にしてもらえなかった。自分で追いつめて、新大久保の駅に降りたこともあるし、路地まで走って追いかけたこともある。(今、思うとこっちのがかなり危険であるが、当時は、成敗してくれようと思っていたんだなあ)

新大久保の駅で降りたときは、逃げる痴漢の袖を捕まえたら、殴りかえされた。近くにいたおじさんが、痴漢を怒鳴り、一方で「お嬢ちゃん、もうやめとけ」と言われて終わった。そういうことを思い出すとさー、えん罪のひとたちはホントにかわいそうだと思うけど、女性が人類誕生以来受けてきた、理不尽な状況を考えると
、ちょっとくらいで騒ぐなよ。どれだけ多くの女性が理不尽な思いをしてきたか、裁判にも上らないことがどれだけ多かったか・・という気持ちにもなる。

男のひとの多くは、はじめて、不自由で理不尽な立場に立たされ、びっくりしちゃって、この制度おかしい!って言ってるように思う。女性にとっては、なにもかもおかしいんだよ、最初から・・。いつだって、無罪なのに、有罪判決どころか裁判さえしてもらえない場所で、生きてきたんだよ・・という気持ちがある。・・あるけどさ、でも、ギリギリの理性で、今までどれだけこちらが不利益を被っていようと、やはり、
真実を見極めるべきだと思うことにする。そうじゃなきゃ、意味ないもんね。

けどさー、ぐどぐどうるさくいうとね、男であるだけで、疑われてしまい、それが、人生をだいなしにしかねない・・っていう、自分の責任ではない「男という単なる性別」のせいで被る不自由。これはね、女にとっては、ずっと日常であった、ということについての言及がちょっとほしかったです。だから、どっかで「やってなくても、間違えられたら、あきらめなさい、痴漢をする男の連帯責任です」みたいな、過激なことを言う人がキャスティングされてもいいように思った。だってさー、女ってだけで、他の女と連帯責任(といっていいかどうかわからないけど)とらされてきたんだよ、こっちは・・とまだ、ぐたぐたいうのだった。

いや、もちろん、それを寛容に冷静に超えて行きたいし、そうあるべきだと思っていると宣言して、これにて終わり。
「フラガール」については後日。