山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

いじめとテレビやゲーム

いじめ問題みたいなのが、連日、メディアをにぎわしているけど、最近読んだ朝日新聞に、「いじめをする子の傾向」みたいなのが載っていた。なんだかな~。

それによると、テレビをたくさん見ていたり、ゲームを延々やっているようなコは、いじめっ子になりやすいそうだ。ほんとかよ。アンケートをとったようだけど、意図的統計のように思えてしまうなあ。テレビでは、罰ゲームなんかやってるし、ゲームも殺戮もの多いから、結びつけやすいよね。個人的には、スポーツをやる子のほうが、いじめっこになりそうだと思うけど、選択肢にスポーツあったのかなあ。

メディアってどうしても、わかりやすさ、受けを狙うから、本を読む子、スポーツをやる子はいい子で、漫画やゲームはダメみたいなこといいたがる。本だって、最近のラノベなどは、かなりえげつないし、小説だって、死を甘美なものに描く安直なものが結構ある。漫画だって、よいものはいっぱいあるし、感動的なゲームもある。まあ、漫画はここ数十年の歴史によって、だいぶ地位が上がったけど、相変わらず、テレビとゲームは悪者扱いだなあ。

ちなみに、自分は子供のころ、いじめっ子でした。(すみません)。しかし、テレビはきらいであまり見なかったし、本は読んでました。スポーツは嫌いでした。犬や猫などの小動物を大切にしておりました。統計とちがうでしょ。時代が違うか?

スポーツ=いじめが起こりやすいと考える根拠は、自分がスポーツできなかったから、できないと、スポーツ関連の子供って露骨に差別するじゃないか。「おまえが入るとチームが負けるから来るな」みたいなさあ。そうそう、私はドッジボールとかサッカーとか、あの手の野蛮な集団スポーツが大変きらいで、授業で割り当てられても、立ってるだけとか、なるべく関わらないようにしてた。すると、仲間はずれにされたように思う。なんだ、自分、いじめられてた? しかし、ボールを追いかけたり、ぶつけ合ったりするより、独りが良かったので、平気だったな。(よくある、いじめられた記憶を封印しているってのではないので、とりあえず)

新聞を読む子は、凶暴だとかってのはないのか。(根拠なく言ってる)。そもそも、新聞を読む子の絶対数が少ないから、意味をなさないだろう。今の子供で、テレビともゲームとも無縁の子なんて、珍しいんだから、ああいう統計はどうかと思うよなあ。じゃあ、テレビを見せなければ、いじめは起きないのか?

このような、漠然としたカテゴライズって無意味だ。なんとかしようと模索しているのはわかるけど、安易な答えはかえって事を荒立てるような気がする。焦って答えを出したってしかたないと思う。ま、売り上げ重視なんだろうけどね。

自分はなぜ、いじめっ子だったのか。ううむ。ひとつは退屈だったからのような気がする。自分にいらだっていたような。それと、嘘のヒューマニズムみたいなものが子供の頃よりきらいで、それを暴きたかったような気がする。いつもいじめっ子だったわけではなく、集団でやったことはない。個人的な営みであった。ううむ。いじめっ子っていうより、けんかっ早い子か。なんだ、今と同じじゃん。

そんなわけで、いじめに関する短い考察でした?