山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

デスノートに見る善悪の基準

昨日見た、「デスノート」について。
上映時間が長いので、結構疲れましたけど、どういう結末に持って行くのだろうというのが一番気になった。いろんな見方ができると思うけど、やはり、テーマは正義ってなに?ってことになるのでしょうか。

ざっくりあらすじを書くと、主人公の少年・ライトは、そのノートに名前を書くと相手が死ぬという効力のある「デスノート」を拾う。法学部の学生であり、正義感あふれるライトはそのノートを使って、凶悪な犯罪を犯したが、法律では裁かれない犯罪者を、殺していく。が、そのうち、自分の正義を邪魔するものまで殺すようになっていく。

ライトに対するのが、法を遵守すべきという立場にいる少年、エル。エルは、デスノートの所有者=ライトを犯罪者として、とらえようとする。このふたりの戦いが見所ということでしょう。

細かく見ると、ライトの正義感というのが、実は現在の法律の落ち度に向かっていることになる。犯罪者であっても、法で裁くことができない・・とは、未成年とか、心神喪失者などのことではないか。いや、法で裁けるけど、死刑にはならないってことか。それを飛び越えて死刑を宣告実行してしまうわけですね。ものすごい死刑礼賛者ってことになる。常識では許されないことだけど、支持するひとが出てくるのも理解できる。さらに、ライトは、自分の正義感(?)を信じるあまり、自分の邪魔をする者まで手にかけるようになる。これは、完全アウトでしょ。それでも、賛同するひとはけっこういるものなのかな。「悪い奴は殺してしまえ、そのための犠牲は仕方ない」ってこと?

(ここから先、ネタバレしますので、映画これから見る予定の方はご注意を)

で、対決の結果、ライトもエルも両方とも死ぬことになる。正義感から出発して、自分を世界を司る神だと錯覚したライトも、彼を許すまじとするエルも、結果的に死ぬ。ライトは自分のちょっとしたミスによって、殺されるんだけど、エルは、ライトを殺すために、自らの命を投げ出すことになる。・・ふうん、そういう結末に持って行くんだなあとしみじみ思う。多くのひとに納得にいく結末を選んだ結果が両方とも死ぬってことなんだよね。

最初は正義で出発しても、自己目的化したなら、主人公に死んでもらわないと、示しがつかないと判断したんだろう(制作者サイドがね)。やはり、自分を守るために罪のないひとを殺した人物を生かしてはいけない・・というのが、メジャーな道徳観ってことになる。

かといって、ライトを捕まえ、法を遵守するエルが生き延びる・・という結末にならないのも、「ほんとうの正義は最後に勝つのだ」という結論では、多くの感動を得られないとふんでいるからだろう。「現実には、正義なんて、ちっとも勝ってないでしょ」と言われてしまい、客足が遠のく。で、たどり着いたのが、両方死ぬ。これが、今の日本の多くのひとの倫理観を満足させる結論じゃないのかしら。実際、映画がヒットしているのは、もちろん、結論だけのせいではないでしょうけれど、多くのひとになじむ結論ではあったのだろう。

正義を振りかざしても、自己愛を振りかざしても、両方死にます。勝ち目ないです。というのが、実感なのではないかしら。ううむ。ちょっと諦めモードのなかで生活してるってことかな。

ヤフーのレビューを読むと、原作とはだいぶ違うみたいだし、原作ではもっと細かく、正義とは・・?という問いかけをしているみたいだけど、映画ではこのように感じた。もちろん、多くの観客を集めているのは、もっと別の要因でしょうけれども、自分にとって興味があったのは、結末の作り方だったので、なんだか面白かった。