山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

彼ってクマみたいなタイプなの・と言えば?

ジュリアン・バーンズという作家の「フローベールの鸚鵡」という小説を読んでいる。

フローべールとは、かの「ボワリー夫人」の作者のフランスの作家である。この本は、小説というスタイルをとっているけど、エッセイに近いような、それでいて、謎解きもある、たいへん、読み応えのある書物である。フローベールの小説に出てくる鸚鵡はどうやら2羽いたらしい・・というフローベールに興味のないひとなら、「どうでもいいんじゃないの、そんなこと」という話かもしれないが、いやいや、「ボワリー夫人」を読んだことがなくても、フローベールを知らなくても、充分、楽しめる小説である。

(こんなこと言いたくないけど、こういうタッチの小説って、日本ではほんと見かけないよな。たぶん、どこかにはあるのでしょうけど、売れないから目立たないとか、出版されにくいって事情があるのだろうなあ・・わかりやすい展開もないし、大恋愛もなければ、誰も死なないからね。けど、初期の頃の村上春樹先生を彷彿とさせるような文体と展開なんですよね。読書の快感って感じで。一応、かっこのなかも文章は、心の声ってことで、通りすがりの出版関係者で、王道路線の方だった場合、テメエ、誰に向かって文句言ってるんだ。お涙頂戴をバカにすんなよ、口惜しかったら100万分売ってみな!と怒られると怖いので、小声で言ってる。小声で書いてます。はい、すみません、売れた人が偉いことはわかってるから)

と、横道にそれました。でもって、フローベールってひとは、自分を「熊」のようだと考えているらしいんですね。日本で、「熊みたいなひと」といえば、身体の大きな、おっとりした「いいひと」ってイメージじゃありませんか。たぶんに、テディベアやクマのプーの影響があると思うんですけど。けれども当時のフランスでは、(今もそうなのかな)、熊=荒っぽい乱暴者、というイメージらしい。確かに、ホントの熊は、野獣ですから、この方がイメージとしては正しいのかもしれない。

さらに、「熊」とは警察における独房の隠語であったり、「熊を飼う」とは、女性が生理中であることをさすという。要するに、その時期の女性は、体内に熊を飼っているほど、アラっぽく乱暴になるから・・ということらしい。

他にも「ちゃんと毛並みを舐められていない熊」とは、がさつで人間きらいなひとのことをさしたり、「熊」には、他にもなかなか上演されない戯曲のことをさしたりもするらしい。

へえ、面白いなあと感心して読んでいるのだった。時々、太った男性を好む女子が「彼ってクマさんタイプ」などどおっしゃるが、フローベールが聞いたら、DV男(ドメスティックバイオレンス男)と思ってしまうかもしれない。

久しぶりに一日、家にいられた土曜日。外はものすごく寒いので、フランスの熊の話を少々・・でした。