山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

恋愛の主導権は女が持っているようだ。

朝10時のMAから始まって、午後は、3月に撮る番組の会議、夜は、スチールのモデルさんとの顔合わせ・・と私にしては、一日びっしりのうち合わせデーでした。が、MAも会議も早めに終わり、思ったより、ゆったりとしていた。夜は、うち合わせもかねて、渋谷で久しぶりに飲みました。なんか楽しかったー。

帰宅後、テレビをつけたら、増村保造の「でんきくらげ」という映画をやっていて、何気なく見る。1970年の制作なんだけど、テンポがものすごくいい。今のテレビドラマくらい話が早く進む。飲み屋の貧しい女の家に生まれた、美貌で強気で不幸な女の子の物語だ。母親(飲み屋勤務)の愛人のおっさんに犯され、怒った母親がその愛人を殺し、刑務所へ。主人公も飲み屋で働き始めるが、美貌ゆえ、やくざにだまされたり、ひどいめに合う。が、銀座のバーに勤めるようになり、客相手に身体をはって、ばくちをうって、お金を儲けていく。

残念ながら、眠くて途中で寝てしまい、結末まで見ていない。映画としてテンポよく面白かったけど、やっぱりいちばん驚いたのは、倫理観の推移である。昨晩は、22歳の美人女子大生と飲んでいたんだけど、彼女たちの世代と、この「でんきくらげ」の世代の女性の倫理観はものすごく隔たっている。女の子が主導権を握れるようになったという意味では、やっぱり、いい世の中になったんだと思う。

以前、スウェーデンに行ったとき、スウェーデンでは、同棲が非常にポピュラーだし、生涯恋愛現役国なんだけど、それだとなにが変わりますかと尋ねたところ、60代の女性は言った。「ひとつの恋愛を失ったからって絶望しないですむ。いくつになっても新しい恋愛ができ、人生がやりなおせるのよ。例え、年取った女でもね」

「でんきくらげ」では、40~50代と思われる、飲み屋つとめの母親が出てくるのだが、しきりに、「こんな年増女、誰にも相手にしないよ」とか「おまえのたるんだ身体に飽きたんだ」とかってセリフが出てくる。当時の世界観では、女=若い女のことであり、年をとった女は、イシハラ某氏が言うがごとく、ゴミ同然だったわけだ。けどさ。人類の半分が女であり、女も経済活動に参加し、影響力を持つようになると、そうも言ってられなくなるんだよなあ。ゴミではない。こちらにも選ぶ権利が出てきたのね。

そんなわけで、頼もしくてかわいい後輩(大学の)をモデルに近日、写真撮影をする予定。楽しみです。