山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

おいしいコーヒーの飲み方。

昨日から、チャンドラー作・村上春樹訳の「ロンググッドバイ」を読んでいて、わりと至福の時を過ごしている。

久しぶりに、ていねいにコーヒーを入れた。家にいるときは、ほとんど紅茶で、コーヒーはそれほど飲まない。けど、フィリップ・マーロウが亡くなった友達のために、丁寧にコーヒーを入れて、彼が最後に座ったテーブルにおいて、ウイスキーを垂らしたり、タバコに火をつけて、そのまま、灰になっていくのを眺めたりしているシーンを読んだら、やられてしまって、コーヒーを入れた。

BUT、マーロウが使っているようなコーヒーメーカーはないから、スタバで購入した圧縮式のポットで入れた。丁寧にいれるといっても、これはものすごく簡単だから、粉をいれて、お湯を注いで、フタをして押すだけだ。それでも、部屋中にコーヒーのいい香りが広がって、死んだ友達を供養する気持ちになった。ロンググッドバイを読んでいると、時代が変わってもひとがやっていることや人の気持ちの流れなんていうものは早々簡単には変わらないのだなあと思う。いや、ひとの気持ちの普遍性をきっちり描けているから、時を超えて残っていく作品なのかもしれない。

時間の経過に耐えられない作品はこの世にたくさんあるものね。特に言葉は恐ろしい勢いで古びるから、今、最先端だと思って、流行言葉ばかり使っていると、使用期間はすぐ終わるよね。もちろん、使い捨てで充分さ・・という作家もいるだろうけど。

ちょっと、話がずれるけど、ほぼ日でみうらじゅんさんが話していたことを思い出した。「これだけなんでも使い捨ての時代に、人間だけが例外のはずはない。人間もまた、使い捨てですよ」と。もっともだなあと思った。人間も使い捨てか。

とまれ。
今日は、読書にひたれて、ハッピーな一日であった。これから、お仕事をするわけですが、家にいられると、精神的にも落ち着くし、本も読めるし、いいなあ、幸せだなあ。好きな本が読めて、好きな映画が見れて、犬がいて、原稿書いていける場所があって、なんか、もう、充分しあわせ。充分だよ、オイ!