山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

グレートフリーつうか無職。

糸井重里さんの「ほぼ日」で就職論をやっていて、楽しみに読んでる。しかし、お話をするのは、成功した経営者がメインで、会社員でも経営を生業としていない、する予定もない自分には、読み物としては面白いけど、参考になるところはほとんどない。と思っていたら「グレートフリー」という特集が始まり、フリーのひとたちの対談が始まった。中身についてはこれからだけど、さっそく、対談にひとりが遅刻してきて、フリーってやつは本当にもう!と思いつつ、しみじみ、自分もフリー長いなあと思った。

テレビの制作会社の社員だったのが8年間。フリーは16年くらいになる。つまり倍以上、フリーなのね。今から考えると、会社員だった8年間、よくやったぞ!と思う。というか、学生のころから、一度はサラリーマン(ってほどの会社ではなかったが)になろうと決意していたのだ。なぜなら、今を逃したら(大学を出てすぐを逃したら)、一生、会社員という身分にならないだろうなーとすでに予測できたからだ。小さい頃から、決まりや集団が苦手だったので、20歳を越える頃には、会社員に向いていないことくらいはよおく、わかっていた。

学生の頃からライターとして、けっこう稼いでいたので、そのままフリーライターになるという道もあったし、当時すでに連載も持ってたし、まわりの編集のひとも、卒業したらもっと書いてね的な反応だった。なので、「はいはい」なんて新しい仕事まで受け付けていた。それでも就職活動したのは、「会社員」になりたかったからだ。一度は結婚してみたい!なんてのと似てるのね。できないけど、ひとさまがやることは一通りやってみたいじゃないですかー。

しかし。8年間の会社員時代、病気で会社休んだこと一度もなかったなあ。しかし、会社員であるという感覚が、たいへん、とてもつらくて、最後は狂いそうでした。小さな会社だったせいなのか、会社という組織のせいか、(たぶん、後者)、まず、毎日、同じ場所に行かないといけないのがいやでした。といっても、テレビの制作会社だから、海外ロケもあるし、編集もスタジオもあるから、同じ場所に通うのは、せいぜい、月の半分くらいだというのに、それでもいやだった。机が決まっているのもかなりいやだった。上下関係、同期、社内での評価、噂話、これらも苦手でねえ。おお、思い出すとよく耐えたことよ。

そんなわけで、会社をやめて、フリーになったわけですが、フリーになった理由を、「ドラマがやりたかった」とか、「いろんな仕事がしたかった」とかいうけど、それは表向きの理由かもね。事実は、同じところに毎日いくのが、面倒だった、噂話や出世競争がいやでした、休みを自分で決められないのがいやでした。集団がいやでした・・それくらいの理由かも。それくらいの理由で仕事決めてるんだよなあ。

そんなわけで、連休なかび、急に自分を振り返って見ました。しかし、一度は会社員体験をしておこうと思った自分の決意は正しかったのかどうか、今でもわからない。そんな無駄な時間を過ごさずにいたら、もっと早く作家としてデビューできただろうか。(なにかとテレビの仕事が忙しいからね)

思えば、学校が基本的に嫌いだったわけで。あの、毎日通うってことと、同じメンバーがごそっといる(生徒ね)、先生が苦手で・・こう考えると学校生活をうまくやっていけるひとは、会社生活もうまくやっていけるのだろう。もちろん、学校教育って、労働者として使いものになるように仕込むことだもんね。ううむ。そう考えると、登校拒否が日常ののち、フリーター(ニート?)が増えるのも自然でありましょう。まあ、私って、時代の先端走ってきたのねー。ははは。

ひとこと、自分に言うとすれば、「さぼってないで、小説書け!」。これが現実。フリーを分析してる暇あったら、自分の仕事せい。もうすぐタイムリミットなのに~。これもフリーの醍醐味か