山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ダイヤモンドは探さない。

ちょっとずつ、更新日が実際とずれてるけど、しつれい。

今日は、自分の小説「海」の映画化にむけての脚本会議。5時間くらいみっちりやりました。プロデューサーの方とは、基本ラインや、人生に対する(大げさだけど)考え方などが似通っているので、シナリオ会議をやっているようでいて、人生観を披露しあってるみたいで、面白い。まあ、ドラマや映画の脚本会議をやると、監督、プロデューサーと、とことんいろんな話をするのは、いつものことだし、そうやって脚本は練り上げていくものだもんね。

で、今日、話題に上ったひとつが、「ダイヤモンドを探すかどうか」。ダイヤモンドっていうのは、宝石のことではなくて、人生におけるダイヤモンド・・至上の愛とか、この闇のような人生に光をあたえてくれる貴重ななにか、のこと。若い頃は、究極の恋愛などをダイヤモンドと信じて、いろいろ活動するけど、結局、そんなものないのではないか?という気分になる。それでもなにかを信じて、ダイヤを探すのか?って話になった。

けど、そもそも、ダイヤってそんなに価値あるの?ダイヤそのものを信じない・・という生き方はないのか。と問うたところ、「それじゃあ、ひとは生きていけない」のではないかと言われた。かすかであっても、嘘かもしれなくても、やっぱり、どこかに光が(ダイヤが)あると信じて、一歩を踏み出す以外、道はないのではないかーと。

自分の映画のテーマももちろん、絶望しかけていた女子が、やっぱり諦めきれずに、「光」を探して、信じる物語ではある。そういうもんがないと、生きていけないかもしれない。必ずしもそれが、男女の恋愛でなくてもいいと思うけど、それが一番即効性はある。

そんなわけで、ここのところ、脚本づくりが多くて(ほかにももう1本つくってます)、それはそれで楽しい。ユニークな監督やプロデューサーたちと、「こいつはなぜ、こいつを好きなのか」みたいな青いテーマを延々話しているんですね。その折々で、それぞれが、「俺はこんな女は許せん」とか「自分なら逃げる」とか個人的な体験を話すので、ますます盛り上がるのだった。

ここらへんがさー、たったひとりでコツコツ書く小説とちがって、自分では思ってもみなかった展開が提案されたり、一緒につくってる実感があったりして、格別の楽しさがあるんだよなあ。だから、映像の仕事、好きかも知れない。(いやいや、小説の絶対孤独も好きなんですけどねえ)

そんな風に新しい一週間が始まりました。