山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

戦争と恋愛

ネットラジオで、第三舞台の鴻上尚史さんと鈴木邦男さんとの対談を聞いた。

最近、日本が右傾化している理由や、戦隊物のアニメや漫画がはやる理由として、鈴木邦男さんが、「戦争になったら、犬死にしないですむ」と思っている若者が多いからではないでしょうか・・と話していた。つまり、今の日本だと、ほとんどのひとが、何者にもなれないまま、犬死にする。ところが、戦争になれば、「闘って死んだ」的な物語が付与されて、自分が何者かになれるように感じるからではないか・・とのこと。そうか、そうかもしれないなーと思った。

かつて、大学生の頃、友人の男性が、大地震が起きないかなーとよく言っていた。その心は、大地震になったら、カワイイ子が困っているとき、手を差し伸べて助けてあげられたり、一緒に逃げたりできるんじゃないか・・とのことだった。平和でも、声かけろよ!と言いたかったけれども、そのひとは気が弱く、プライドは高く、声をかける勇気がなく、断られるのがイヤだったんだと思う。その話を聞いたときには、子供心に(というか、すでに20歳くらいだったけど)、むかっと来たのを覚えている。今で言うオタクのはしりのようなひとで、アイドルがすきで、現実の女性とはなかなかつきあえないひとだった。

その後、そのひとがどのような人生を歩んだのか知らないけど、「戦争になったら、自分でもヒーローになれるかも・・努力なしに・・あわよくば・・」って感じから、戦隊物に感情移入しているとしたら、すっごくいやだなあ。自分の物語の完成のために、戦争とか起こってほしいと思うなんて・・・なんだか。

なにがはやっているか・・・・ひとびとがなにを望んでいるか・・がわかるのかもしれないなー。
さっき、今日の渋滞話を書いたばかりだけど、ネットラジオきいて、面白かったのと、いつも読んでる松梨さんの日記に、従軍慰安婦の話が書いてあって、日本の男性の戦争観、セックス観みたいなものについて、ちょっと考え込んでしまったのでした。

真っ昼間、たくさんひとがいる場所で(=電車のなか)で、痴漢が行われている国っていうのも、相当めずらしいよね。そのことを考えるたびに、うんざりするのでした。