山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

自殺と熱と犬の人生。

風邪のため、仕事がほとんどはかどらず、一日中、寝たり起きたり。なので、本ばかり読んでた。

昨日は、「一度死んでみますか?」という島田雅彦としりあがり寿の対談集を読んだ。いずれ、自殺をテーマにした小説、書いてみたいなーと思って、「死」関連のものを集めてる。最近、映画のロケハンで本屋さんに行ったので、その時、購入。タイトルとちがって、「死」に関する話はほとんどなかった。まあ、軽い読み物だった。

今日は、「犬の人生」という短編集を読んだ。これもロケハンで行った本屋さんで購入。「犬の人生」というタイトル、表紙には、自分が会議中、退屈を紛らわせるためによく書いてる、うちの犬のイラストみたいな「へたうま」風の絵が描いてある。いくら犬好きとはいえ、ありがちな愛犬ものにはあまり惹かれないんだけど、訳者が村上春樹先生だったので、迷わず、購入。

いやあ、なかなかよい短編集だった。作者は、マーク・ストランドというアメリカの詩人。途中まで読んで「なんだ、こりゃ?」と疑問に思い、作者の略歴を見て、納得した。「詩人」かあ。小説なんだけど、ほとんど「詩」みたいな作品もある。昨日か今日の新聞で、丸谷才一先生が、「小説とは、文体と構成だ」と仰っていたけど、この短編集は「文体」を楽しむものかもしれない。ありきたりなストーリーとか教訓とかつじつまとかいっさいなし。村上春樹が腕によりをかけて(たぶん)翻訳した、美しい文章を酔いながら読むことができる。そして、漠然と、「なんて、小説って自由なんだろう」と思った。

最近、映像化目的の小説をいくつか読んでいたので、それってやっぱり、ストーリーありきって感じで、それはそれで、すばらしいのだろうけど、どうにも自分は、そっちにあんまり魅力を感じなくて、でも、そういうもの書かないとだめなのかなーと不安になったりしてたけど、「犬の人生」を読み出すと、自由でいいじゃないか!と思えて気が楽になる。(そりゃさー、書くのは自由だよ。でも、そんな自由な小説は売れませんよ!って資本主義の神さまの声が上から聞こえてきてしまうけどさー)。

「犬の人生」というタイトルの小説は、ある日、夫が妻に、「実は俺、以前は犬だったんだー」と犬時代の思い出を話すお話である。妻としては、「このひと、なにが言いたいの?」という感じだけど、夫はひたすら犬時代のことを話すだけ。たったそれだけのお話である。もちろん、落ちもない。いいなー。わたしも昔犬だったひとに出会いたいなー。

そんなわけで、熱下がらず、深夜に近所の病院に行った。点滴を打ってもらったきました。真夜中なのに、親切にしてもらえてありがたかった。点滴打ったら、急に目が冴えてきて、帰りは歩いて帰ってきた。(元気じゃん!)

しかし、これから始める多忙な日々のために、とにかく回復しないと、すっごくまずい感じがしている。あっという間に今年、終わっちゃう。どーしよ。まず、熱を下げよう。